|
アンニサー章112節で至高のアッラーは仰りました。
『過失または罪を犯して、これを潔白な者のせいにする者は、虚偽と明白な罪を負う者である。』
イスラームは家族間の愛情を深めるよう説いています。そしてこの良い関係を弱めるすべてのことに反対します。ですから陰口・噂を広めること・嘘・濡れ衣を着せることを禁じ、現世と来世における厳しい罰を約束しています。
濡れ衣を着せることは大罪の一つで、この罪は心からの悔悟と、濡れ衣を着せたことによって起こった問題を解決すること以外に許されることはありません。
「濡れ衣を着せること」は現代社会に広がった弊害の一つで、これは人々がイスラームから離れたことが原因しています。そしてこれは人々の人格を弱体化させ、アッラーの命令と禁令を人々に忘れさせます。
この節では「カスブ」というアラビア語が使われており、これは「得る」ということを示します。つまり、濡れ衣を着せる罪を犯す者は罪と罰を背負い、他人に害を与える前に自分が害を受け、アッラーが彼を罰する前に自分自身により罰せられるということを示しています。
この罪を犯した者を最初に襲うものは良心の呵責でしょう。その後人々の間に自分が犯した罪が明らかにされ、人々につるし上げられ、信用を失うのです。それにより、悲しみと後悔がその者を襲い、それから審判の日のアッラーの厳しい罰が襲うのです。
これらの模範的規則と人道的価値は、イスラームのもとにおいてはただの希望でも現実からかけ離れた想像上のことでもありません。イスラームはこれらの規則をアッラーから下された法則として、生きた、現実的なものとしました。
アルクルアーンの注釈者たちはこの節とその前の節が啓示された原因として、トゥウマ ブン ウバイリクと呼ばれるムスリムの男が服を盗み、それを小麦粉の袋に置いた事件について伝えています。その後、その男は自分の罪が暴かれそうになると、ザイド ビン アッサミーンと呼ばれるユダヤ教徒にその服を預けました。そのユダヤ教徒に疑いをかけようとしたのです。この事件は預言者にも伝えられました。ユダヤ教徒のもとに盗まれた服があることがわかった時、彼はこの服が自分の物でないことを公言しました。そしてトゥウマが彼のもとに置いたものだと言いました。預言者がトゥウマを良く知る者たちに尋ねると、彼らはトゥウマのことを褒め称えました。服という証拠があったため預言者はユダヤ教徒を犯人と断定しようとしましたが、その時啓示が下り、ユダヤ教徒の無実を伝えました。そしてムスリムであった犯人の罪が露呈しました。
この事件と物語は、イスラームの法は、イスラーム国家においてすべての人々に対し施行されるものだということを私たちに伝えています。イスラームにおける法は実行されるためのものであり、人々がそれを守るために置かれた法なのです。単なるスローガンではありません。
イスラームとは模範的な生きた宗教です。そしてイスラームのもとで様々な宗教を信仰する人々が不正や破壊を恐れず安心して生活できるのです。
(→バックナンバー)
(→週刊アラブマガジンのトップ)
|