クルアーン道
 

【他者優先】
 

至高のアッラーはアルクルアーンのアルハシュル章8、9節で仰りました。
『(戦利品)は貧困な移住者たちのものでもある。かれらは自分の家から追われ、また財産から離れ、アッラーの恩恵と御喜びを求めて、アッラーと使徒を助けている。これらの者こそ、真実な者である。そして以前から(アル・マディーナに)家を持っていて、信仰を受け入れた者たちは、(移住して)かれらのもとに来た者を愛護し、またかれら(移住者[ムハージル])に与えられた(戦利品)に対しても心の中で欲しがることもなく、自分(援助者[アンサール])自身に先んじて(かれらに)与える。たとえ自分は窮乏していても。また、自分の貪欲をよく押さえた者たち。これらの者こそ至福を成就する者である。』

このアルクルアーンの一節は私たちを、私たちの祖先であるムスリムたちの歴史の1ページへと誘います。不信仰者のクライシュ族たちから受けた迫害のため、当時ムスリムたちは自分たちの家から追い出され、自分たちの所有するすべてを捨てさせれらました。これはムスリムたちが何か罪を犯したからではなく、ただ「自分たちの主はアッラー(唯一の神)である。」と言ったためでした。そしてムスリムたちはアッラーの恩恵と満足を求め、アッラーと預言者を(つまりイスラームを)自分たちの信仰と行動によって勝利させようとして、アルマディーナに移住したのです。

その後この節は信者たちのもう一つのグループについて話を移します。彼らは「アルアンサール」と呼ばれたアルマディーナ出身の信者たちでした。彼らの信仰心がもたらした最も素晴らしいことは、アッラーの道のための愛でした。アルアンサールたちは移住してきた彼らの信仰の同胞たち(アルムハージルーン)を愛し、自分たちの財産や所有するものすべてを同胞たちに分配しました。

イスラーム社会は自己犠牲・他者優先・扶養の素晴らしい模範をこの世に実現させました。この他者優先は自分自身が必要としていることにまで及びました。このマッカからアルマディーナへのサハーバ(預言者の教友たち)たちのヒジュラ(移住)とアルアンサールたちが自分たちの町に彼らを快く迎え入れたことは、歴史上で最も素晴らしい相互協力と他者優先の例であることは疑いありません。

アルアンサールたちはアルムハージルーンたちの到着を歓迎し、彼らを助けただけにとどまらず、アルアンサールたち1人1人がアルムハージルーンの一人を自分の兄弟とし、財産を分け与えました。このようにして、行動をともなった信仰が広まり、信者たちのお互いの心を強く結び付けたのです。そして今日までこの出来事は模範的な例として語り継がれています。

ここで他者優先の素晴らしい例を見てみましょう。アルブハーリーとムスリムの伝承によると次のハディースが伝わっています。

「アブーフライラは伝えている[ある者がアッラーのみ使いの所でもてなしを受けようとして訪れた。だがその御方には彼をもてなす物が無かった。それでみ使いは、「この者を客としてもてなす者はないか。アッラーはその者に御慈悲を垂れ給うであろう」と申された。するとアンサールの一人でアブー・タルハという者が立ち、その男を家に連れて行った。ところが彼の家には彼と彼の子供達の食事しかなかったのである。そこで彼は妻に「子供達を寝かせよ。そしてランプを消し、あるだけの物を客人に差し上げよ」と言った……(中略)朝になって彼は預言者の所に行った。するとその御方は、「アッラーはあなた方お2人が、昨夜客に尽したことについて大変御満足である」と申された。それで『自分(アンサール)自身に先んじて(困窮している人々)に与える。たとえ自分は窮乏していても』(アルハシュル章9節)が下された。]」

成功者とは自分自身をケチな心から守ることができ、自分の所有するものをアッラーの御満悦のために費やすことができる者です。なぜなら吝嗇は全ての善の妨害するものであり、善とはすべて、財産・労力を心から費やすことにあるからです。時には自分の人生を犠牲にすることもあるでしょう。

このように吝嗇から己を守った者は自分自身と他人を不正から遠ざけたことになります。また今日の社会は、人々がこの世で幸福を享受するためのこのような人格を必要としています。

執筆:ヌーラ アッダハマシ

                

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