選手団のなか唯一ドイツ人のシュタンゲ監督は、選手たちから教わったのか、アラビア語で、「ヤー、ハビービー!(おお、愛しい人よ)」と言って私たちをからかい、緊張していたその場の雰囲気を和ませてくれた。国籍は違えども、選手たちとの信頼関係は強く、皆から慕われている様子が覗えた。
2月12日、試合当日の午後、嬉しいプレゼントが私に届いた。FWのアフマド・アバス選手から国立競技場の招待券を頂いた。国内クラブチーム、ザウラーに所属する彼は、現在22歳。ドーハの悲劇はテレビで観ていたが、10年も前の子供の頃のことで、あまり記憶にないそうだ。しかし、日本人がそう呼んでいる"ドーハの悲劇"、彼らにとっての悲劇とはそんな生ぬるいものではないだろう。負ければ鞭打ち、勝っても難癖をつけられ拷問を受けていたことは、ただの噂だけではあるまい。それでも彼らは私たち日本人に対し、常に笑顔で接してくれた。
それから私は、ホテルから地下鉄を乗り継ぎ国立競技場へ向かった。頂いたチケットはイラクベンチサイドのすぐ後ろの席で、選手たちの表情が目の前に見えるところだった。もちろん、日本代表選手、中村俊輔選手などの顔もはっきりと見えた。険しい表情のイラク選手に比べ、日本代表選手がニヤついているように見えたのは、気のせいだろうか?私は日本人として、当然日本代表を応援するべきなのだが、その日は終始、イラク代表チームを応援した。バグダッドから陸路でアンマンまで10時間以上のバスに揺られ、アンマンからトルコ・イスタンブルまで約3時間の移動、成田行きのトランジットの為に空港で10時間待たされ、イスタンブルから12時間のフライトをエコノミークラスの座席で過ごしている。到着早々、西が丘競技場での2時間の練習、試合まで中一日だけの過密なハードスケジュールの中で、時差ぼけも治らないイラク人選手たちのコンディションがいいわけがない。そして、彼らの来日中、バグダッド南部でまた大きな自爆テロがあり、50人の尊い命が失われた。国の家族が心配で、国際電話の掛け方を私たちに尋ねる選手もいた。選手たちは何を想い、試合に臨んでいったのだろうか?結果的には、2対0で日本が勝ちはしたが、残念ながらその勝利の意味が私には判らなかった。
インシャアッラー
…神のみぞ知るわけだ。
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