読者の声
 

【今、問われているもの】
 

頻発するテロの背景

世界を震撼させた9・11テロを皮切りとして、インドネシア、ロシア、トルコ、イラク、そしてスペイン……パレスチナ……と、世界各地でテロが相次いでいる。何故こんなにも悲惨なテロがあちこちで起きるのだろうか?ロシアでの自爆テロには、戦闘で家族を失った女性たちが数多く参加していたという。愛する家族との平穏な生活を願っていたであろう彼女たちを、そこまで追い詰めたものは何だったのか?スペインでのテロの背後には、抑圧された人々の解放を求める抵抗と、侵略者への攻撃を主張する組織の影がちらつく。一口にテロと言っても多様である。しかしながら多くのテロの背景には、多数者、強者による、少数者、弱者への抑圧や差別、そして侵略がある。

民主主義の落とし穴

民主主義社会に暮らす私たちは、民主主義の素晴らしさを知っている。それと同時に、自分たちの声が政治に反映されない空しさも知っている。そして、選挙制度いかんによっては、少数意見が多数意見に姿を変えてしまう現実さえも知っている。それでもなお、私たちにとって民主主義はかけがえのないものであると信じている。誰もが知っているように、民主主義は多数決の原理のもとに成り立っている。それは即ち、どんなに間違っていようが、理不尽であろうが多数意見が優先され、一方どんなに正しく理にかなっていても、少数意見は切り捨てられるという原理である。即ち民主制度とは、逆上した民衆の支持さえ得られれば、どんなに残忍で卑劣な侵略戦争さえも正当化してしまう危険性をはらんだ制度なのである。健全な民主主義は、知性とモラルによって支えられるものである。知性やモラルを失った民主主義は腐敗し、不正義を正義と言いくるめてしまう凶器へと変貌する。ナチス・ドイツを支持したのも又民衆であった……。民主主義がこの恐ろしい陥穽に陥らない為には、私たちは常に、細心の注意を払って、民主主義の名のもとに行われる行為の正当性を検証し続けねばならないのである。

民主主義国家によってひき起こされたアフガンやイラクへの攻撃とは何だったのか?アフガン攻撃は9・11テロへの報復ではなかったか?そしてイラク攻撃は?イラクで殉職した奥大使は語っている。「……この戦争の目的が何であるのか私にはすぐに分った。皆、石油のことばかり考えており、大量破壊兵器について誰も関心など持ってはいない。……」 開戦からわずか一年もたたない間に、戦争の大義も崩れ去り、この戦争の本質が露呈してしまった。かつてヨーロッパ列強が、アジアやアフリカ、アメリカにその富を求めて進出し、奪って行った歴史が、“危険な独裁者を倒し、イラクに自由を”という美しい衣をまとって、今再び繰り返されているのではないか!?石油を求めてイラクに侵攻したアメリカは、その富を容易に手放そうとはしない。イラクから帰還したアメリカの兵士は語っている。「どこかの建物から攻撃を受けたら、その建物全体を破壊するんだ。その建物の中に何の関係もない普通の家族が暮らしているかもしれないけれど……。それが我々にとって一番安全なやり方なんだ。」残虐な行為に手を染め、アメリカの正義を信じて、あるいはそれを疑いながら、傷つき、命を落として行ったアメリカの兵士たちも又、この醜い侵略戦争の被害者なのかも知れない……。

“テロとの戦い”

“テロとの戦い”を力強く叫ぶ人たちは、“成熟した都市社会”の市民の死に憤り、それを深く悲しむけれども、“テロとの戦い”の犠牲となった、その何十倍、何百倍とも言われる数さえ知れない人々の死に対して、同様に憤り悲しむことはない。そして、軽んじられ、無視された多くの人々の怒りや悲しみが、再びテロという形をとって自分たちに襲いかかってくることに気づこうとはしない。無辜の一般市民を標的にした無差別テロに憤る人々は、アフガンやイラクの人々の悲惨な死に対しても又同様に憤らねばならないのではないのか!?ハイテク兵器といわれる冷酷な兵器で、ボタンひとつで、あたかもゲームの中の人形のように命を奪われていった人々の憤りと悲しみを共有しなければならないのではないか!?そうすることが出来なければ、“テロとの戦い”の真実の姿を理解することなど到底出来はしないし、“テロとの戦い”に勝利することもないだろう。

民主主義は今、テロによる攻撃を受けている。しかしながら、攻撃されているのは、知性とモラルによって守られた民主主義ではない。欲で膨れ上がった、自己中心的な民主主義である。私たちが守ろうとしているのは、こんなにあさましい民主主義ではないはずである。民主主義を至上のものと信じ、世界を民主主義の原理で動かそうとするのなら、そこにはどうしても忘れてはならない前提条件がある。少数意見を尊重するという条件であり、世界中の全ての個々人が平等であるという条件である。民主主義を守るということは、民主主義が健全に機能する為のこの条件を守るということである。即ち、多数者、強者による抑圧や差別や侵略を取り除くことである。テロは抑圧された者たちの解放を求める戦いであり、差別される者たちの差別する者たちへの挑戦であり、侵略者への攻撃である。フランス革命も、ロシア革命も、民衆による抑圧者へのテロであった。テロは、社会の歪みやひずみの中から生まれてくる。歪みが大きければ大きいほど激しいテロが生まれてくる。
テロとの戦い……それは、実は、社会の歪みやひずみとの戦いであった。私たちがこの歪みを正すことが出来るなら、多くのテロはひとりでにこの社会から消え去っていくだろう。

歪みを正すために

振り返ってみれば、人類の歴史は武器開発の歴史でもあった。武力に優れた者が、他を征圧し支配者となった。一方で、非力な者たちが知恵と団結力で、強者を打ち破った歴史でもあった。……第ニ次世界大戦という悲惨な戦争を経て、国家間の諸問題を武力ではなく話し合いで解決する為に、国際連合が誕生した。国連こそは、国際社会を代表する公正な機関であると、多くの人々は信じてきた。そうあってほしい、という多くの諸国民(地球市民)の願いにもかかわらず、今、それは幻想に過ぎないことが明らかになってしまった。考えてみれば、国連はその発足当初から既に、真に民主的な機関ではなかった。多数決の原理が成り立たないのである。どんなに多数の国々が支持しても、強国の拒否があれば、それは支持されないのである。ここに現在の国連の限界がある。国連が強国の利害の力学に翻弄されるだけの機関なら、強国の武力と経済力の前に口をつぐむしかない機関なら、そこにどんな正当性があるというのだろうか?この歪んだ国連を、国際社会の代表として放置しておくことは、武力と経済力によって民主主義がなぎ倒されるのを黙って許しておくのと同じことではないか?

民主主義を守る為、国際社会の歪みを正す為には、まず国連をこそ真に民主的な機関につくりかえる必要があるのではないだろうか?「そんなことは不可能だ。」多くの人は考えるかもしれない。しかしながら、幾多の不可能を可能にしてきたのも又人類の歴史である。いかにして真の国際社会の代表たる国連をつくりあげることができるか……今、まさに、人類の叡智が試されているのではないだろうか?

文明とは

弱者をいたわり救済するのが文明なのだという。そうだとするならば、弱者救済を説き、弱者に視座を置くというイスラームは極めて優れた文明である。しかしながら、民主主義に致命的な欠陥があるように、イスラームにも致命的な弱点がある。それは、素晴らしい唯一神からのメッセージが本当に正しく理解されているのかどうかという問題である。そして、それは、中世キリスト教世界が陥ってしまった陥穽とよく似ている。現在のイスラーム世界もその解釈によって様々である。唯一神から与えられた言葉の真の意味を理解するには、優れた知性が必要である。現代のありとあらゆる知性を総動員して、細心の注意を払って、解釈はなされなければならない。そして、その解釈に私利私欲がはいり込むことなど論外である。民主主義社会のモラルと知性が今問われているように、イスラーム世界も又、そのモラルと知性が問われているのではないだろうか?

人類史上最高の文明であると自認する欧米文明。世界中の多くの国々が学び、とり入れてきたこの文明はどうだろうか?歴史をみる限り、この文明は弱者を救済するどころか、強大な武力で弱者(武力に劣る者)を差別し、抑圧し、その富を強奪していった。(これは、イエス・キリストの教えを踏みにじる行為ではなかったか?)そして、自分たちに害をなす者は全て悪であるとして、根こそぎ抹殺しようとする。 この美しい惑星に棲む生き物たちの壮大な生態系の中で、かけがえのない重要な役割を担う無数の微小生物たちも、鳥たちも、魚たちも、獣たちも、皆その例外ではない。その存在価値を過小評価され、無視され、下等なものとして生命の尊厳を奪われてきた数えきれないほどたくさんの生き物たちが、今、一丸となって、自らの生き残りをかけて、世界中を席捲しようとしているこの傲慢な文明に襲いかかってくる。そして、厳しく問いかける。「これが文明か……我々の星地球を破壊するお前たちこそ、ならず者ではないか!この星の主は誰か?」と。

世界中の多くの人々が憧れ、学び、とり入れてきた欧米文明……。力を手にし、文明の定義から逸脱し、自らを省みることもなく暴走する人々を食い止めることが出来るのは、唯一神の真の教えと人間の叡智以外に何があるだろうか?

筆者:堀田史子

 

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2004年 アラブ イスラーム学院