読者の声
 

【新しい世界をめざして】
 

自爆攻撃

自爆攻撃……それは、追いつめられた非力な者たちに残された抗戦するための最後の悲壮な手段である。かつて太平洋戦争末期、追いつめられた日本の若者たちは神の名のもとに自爆攻撃を行い散っていった。

アラブ社会にはもともと自爆というものはなく、戦後、日本から伝わっていったのだという。今、追いつめられたアラブ・イスラーム世界の若者たちは神の名のもとに自爆し、命を落としていく……。 日本人が神と崇めた天皇は人間であった。イスラーム世界の人々が崇めてやまない神は……。

聖書とクルアーン

聖書とクルアーンは唯一神信仰の根源である。唯一神が人々に与えたとされる言葉である。もしも本当に天地創造の唯一神が存在するのなら、その言葉に矛盾などあろうはずもなく、それは、むしろ、相補いあい、互いに共鳴しあい、全体としてひとつの美しい調べを奏でるものであるに違いない。
 
神は、イスラエルの最初の祖先であるアブラハムを選び、彼の子孫が住み繁栄すべき土地を与え、そこで彼らが神の掟に従い神の意志を行うことで“神の道を歩む”“正しく正義に適ったことを行う”ように契約を結んだ。

やがて、洗礼者ヨハネがヨルダン川に現れ、“神の選民”であるはずのイスラエルに神の容赦ない審判を告知した。イスラエルの現状に疑問をいだいていたユダヤ人イエスはヨハネの洗礼を受け、その後ユダヤ人の選民思想を批判し、人は皆平等であること、そして隣人への愛を説いた。彼は又、「サタンが天から稲妻のように落ちるさまを見とどけ」、天では今や喜びの宴会が始まっており、地上では神とサタンの確執が続いているものの、既に地上に“神の国”が実現しつつあり、その宴席には民族を問わず全ての人々が無条件で招待されていることを告げた。そしてイエスのこのメッセージを受け入れる者は“神の国”に迎え入れられ、受け入れない者は“神の国”にも受け入れられないことを説いた。イエスは自分の言葉と行動を神の名によって正当化することはなく、自分の確信と責任で語り行動した。即ちイエスは一人の人間として振舞った。けれども彼の弟子たちは彼を神の独り子と信じ、そう言い表して、その確信のもとにキリスト教が誕生した。ヘブライ語名のバルナバの福音書には、イエスが人間であること、そして預言者ムハンマドについての記述があるのだという。しかし、これがキリスト教徒によって異端とされたのは必然であった。
 
その後、イスラームの預言者ムハンマドとその教友たちは唯一神の支配する社会、即ち、ひとつの“神の国”を地上に築き上げた。 イスラームは平和の宗教であるという。しかしながら、ただひたすら平和を祈るだけの宗教ではない。クルアーンには「騒擾がすっかりなくなる時まで、宗教がまったくアッラー(唯一神)の宗教ただ一条になる時まで、彼らを相手に戦い抜け」とあるのだという。それならば、イスラームは又戦いの宗教でもある。クルアーンは聖書と違って、その一字一句までが神の言葉とされる書物である。神のしもべであることを受け入れた彼らは、神の言葉に忠実に従うことを義務づけられた人々、誰であれ神に逆らう者、神を畏れぬ者たちと戦うことを義務づけられた人々であるということになる。即ち、神が最初の契約を結ぶ民としてイスラエルの民が選ばれたように、イスラーム世界の人々は神のために戦う戦士として選ばれた人々なのだということになる。イエスも又、神のために闘った一人であった……。
 
イエスの教えは迫害を受けながらも多くの人々に伝えられ、やがてキリスト教はヨーロッパを中心に強大な権力を握っていった。そして腐敗し、イエスの教えは誤解され、曲解されて、神の十字軍の名のもとに、同じ神のしもべ仲間であるはずのイスラーム世界の人々に襲いかかって行った。さらに、イエスの教えに背き、世界中の異民族を差別し、蹂躙し、搾取してしまった。科学技術の発達の過程で、いつか神の言葉も否定され、政教分離の考え方のもとにイエスの教えは政治から遠ざけられ、現在に至っている。

近年の華やかな欧米社会の発展を見て、人々は、歴史と共に文明が進歩してきたと信じた。そして、今をときめく欧米文明こそが人類が到達した最高の文明であると多くの人々は考えている。しかしながら、現在世界を覆っているのは非文明である。人々は争い、敗者、弱者は切り捨てられ、力を手にした者たちは大量の殺人兵器を生産、販売、使用して富み栄え、非力な者たちはその餌食となる。強国はより安全に“敵”をせん滅するためにロボット兵士の開発にまで触手を伸ばし、民主主義も踏みにじられ、唯一神の真の教えも過去のものとして葬り去られようとしている。 長い苦難の末に約束の地を与えられたイスラエルの人々は、そこで神との契約を破り、“神の道を歩む”ことを捨て、同じ神のしもべであるパレスチナの人々を追放し、迫害し、虐殺を続け、約束の地は血塗られている。神の国を実現したはずのイスラーム世界の人々も又神の言葉から遠ざかってきた。
 
イエスの誕生から2000年が過ぎ去り、21世紀を迎えた今、科学技術の発達によって世界は小さな村のようになってしまった。強い人々と弱い人々、豊かな人々と貧しい人々、様々な人々がこの村で暮らしており、人々は移動し、混ざり合い、地理的文化的壁は次第にとり払われ、一方で新たな壁が建設され、一部の人々は、人類の長年の夢であった不老不死さえも手の届きそうなところにおり、他方で、食べる物もなく為すすべもなく死んでいく数多くの人々がいる……。そして、この村は今、多くの災いとテロの脅威にさらされている。

……思えば、9・11事件は、それを首謀したとされる人々さえも驚くほどの、言いかえれば人類の誰一人として予想だに出来なかった大惨事であった。そして、その後世界は変ってしまったと言われる……。世界に冠たるアメリカのツインタワーとそれをとり巻くビル群の崩壊を目のあたりにして、多くの無辜の市民の死に直面して、人々はこれを“悪”であると断じた。そして、何故この事件が起きたのか、その背景を考えることを止めてしまった。イスラーム過激派といわれる人々……狂信者たち……常軌を逸するほどに唯一神を信じ、畏れ、その言葉に忠実であろうとする人々……彼らが引き起こしたとされるこの惨劇が、現代のバベルの塔ではないと証明することが誰に出来るだろうか? あれから3年近くが過ぎようとしている今なお“テロとの戦い”は続いている。唯一神をめぐる衝突……異教徒である私たちも、好むと好まざるとにかかわらず、この争いの渦中に置かれている。
 
イスラームでは、神を畏れ、信じる者ほど貴い者なのだという。ならば、狂おしいほどに神をたたえ信じ、畏れる人々を、神はこよなく愛しているはずである。 キリスト教原理主義……イエスの教えから遠くかけ離れ、あたかも神のごとく振舞う人々には、それにふさわしい報いがあるはずである。

イエスは既に再臨し、事の成就の時を待つ。長い苦難の時に尚、神との契約をしっかりと守り続けているイスラエルの人々、イエスの教えに背かなかったキリスト教徒たち、そして、神の言葉にあくまでも忠実であろうとするイスラーム世界の人々、これらの心優しい人々が、今、“神の国”(天国)への扉をおし開く。そこには、世界中の全ての人々が招待されている。罪や過ちを犯した人々は悔い改め、多くの人々は招待を受け入れ、この門を入っていくだろう。そして、この招待を拒絶し否定する人々には、神の戦士たちが襲いかかっていく……。 かつて、あまたの強大な帝国が繁栄し、やがて崩壊していったように、今、世界を支配する歪んで腐敗した体制も又、遠からず崩壊して行くだろう……その後には、大小様々な“神の国”が出現し、そこでは殺し合う為のあらゆる兵器が廃棄され、人々は殺し合うことをやめ、互いに学びあい、尊重しあい、助けあい、愛しあうだろう。破壊された環境も次第によみがえり、それぞれに与えられた神の教えに導かれて、人々は平和に暮らしていくだろう。唯一神を知らない人たちにも又、住むべき土地は十分に用意されている。私たちは間もなくこの新しい世界が出現する光景を目のあたりにすることが出来るだろう。……もしも神が望まれるならば……

以上は、聖書もクルアーンもろくに読んだこともない無知な人間が、わずかな知識を頼りに、一神教の世界について思い描いたひとつの稚拙な物語に過ぎません。けれども、今を生きる一人の人間として、この唯一神の物語……古代から言い伝えられた、この感動的な愛の物語……が真実であることを、私は今、深く願ってやみません。

筆者:堀田史子

 

尚、聖書とクルアーンの部分には「一神教文明からの問いかけ」(講談社)の中の文章を多数引用させて頂きました。心より感謝申し上げます。

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