読者の声
 

【「野口英世・最後のたたかい」出版の裏話】


現在好評発売中の「野口英世・最後のたたかい」(文芸社)著者の中山達郎氏は野口英世に対する熱い思いを語ってくれました。

  「平成16年11月に日本の誇る世界的医学者野口英世博士の顔が載った千円札が発行されてから早一年になろうとしています。多くの人は「最後はガーナで自身が研究していた黄熱病で死んだ」ことを知っています。「そこではどんな苦労があったか、どういう行動をしたのか」あまり知られていません。

これまでの本は、例えば部族名もわからず現地人を皆「黒人」と表現しており、いまひとつ背景がはっきりしません。博士の足跡を語る時、これは重要な要素で、博士が使っていた黒人助手や猿の飼育係にも部族の違いによる独特な習慣、部族意識があり、何百匹という実験用猿を管理していく上で博士が彼等の扱いに相当苦労したはずです。

もうひとつ、これまでの本は、博士が最も可愛がり信頼し、ニューヨークへ帰る際は一緒に連れて行こうとしていたナイジェリア人助手チャンバン氏(猪苗代野口記念館に写真あり)の記述が全くないことです。更に博士が最後に訪れるナイジェリア・ラゴスのロックフェラー財団西アフリカ黄熱病研究本部へ行くくだりも、ある本が簡単に書いている以外は一切なく、この出張旅行は博士の病状を悪化させる原因となった事、また博士を悩ました米国人所長との確執が絡んだ重要な場面であるだけに、博士の最後のたたかいとなるその状況は重要です。

世紀の大発見と世界に報道された南米エクアドルで見つけた「黄熱病菌」が、実際はワイル氏病(黄熱病と同じく黄班が現れる)の病原菌であった為、その事が最後まで博士の研究の脚を引っ張り、ついにはその命をも奪うことになりました。もし電子顕微鏡があったら数秒で黄熱ウィルスを発見できたことを思うと何とも可哀想でなりません。博士の悔しさを思うと居てもたっても居られずに書き上げたのが本書です。私は「博士の苦労を知ってもらいたい。これは自分が書かねば」と思い立ちました。

もし私が芝で柔道をやっていなかったらこの本はなかったでしょう。1971年ナイジェリアのラゴスでたまたま柔道を見せたことが縁で親交をもった野口英世の助手及び同僚のガーナ人助手の話を基に書き上げたのが本書です。

自分の延べ七年間に及ぶナイジェリアでの仕事と柔道コーチでの現地滞在を通じて博士の研究活動の詳細な足跡をまとめました。偉大な博士の最後の様子を、多くの方々にご紹介し、千円札を使うたびに、博士の偉業と人類の平和の為に生命を捧げた日本人、いや世界人に、改めて敬意を表する次第です」


編集部

                

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