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Vol.00 2003.07.22発行
◆◇◆ 『週刊アラブマガジン』 ◆◇◆
【今週の目次】
1. 創刊のごあいさつ
2. アラブとの30年 【アラブのもてなし】
3. アラブの詩を楽しむ!【詩はアラブの心】
4. 預言者ムハンマド伝 【預言者伝を読むにあたって】
★★1. 創刊のごあいさつ ★★★★★★★★
「マガジン」はアラビア語が語源だということをごぞんじでしたか?アラビア語では
"Makhzan"といい、現在も「倉庫」の意味で使われています。知識の倉庫、それがマ
ガジンです。アラブ人ってどんな人たち?アラブ・イスラーム文化に興味のある方、
中東及びアラビア語に興味のある方、必見です!
『週刊アラブマガジン』は下記6つの記事で構成され、毎週1回水曜日にこのなかから
3つの記事が配信されます。
さらに詳しくアラブ・イスラームについて知りたい方はこちらをどうぞ。
http://www.aii-t.org/
内容 【シリーズ : 2003年後期】
● アラブ青年の日記:
在日サウジアラビア留学生が日本や海外で感じたことが書かれています。
● アラブとの30年:
アラブで約30年間暮らした日本人ビジネスマンの日記です。
● アラビア語会話ワンポイントレッスン:
アラブでよく使われる慣用句が勉強できます。
● アラブの詩を楽しむ:
アラブ人は詩を好む人々として有名です。どんな詩を詠むのでしょうか?
● 預言者ムハンマド伝:
アラブの小学生が歴史で学ぶ預言者ムハンマド伝記です。
● イスラーム文化:
アラブ人が信じるイスラームと他宗教・他文化との違いがわかります。
★★2.アラブとの30年 ★★★★★★★★
【アラブのもてなし】
私たち日本人3名の調査団が、週に2便の飛行機が発着しない地方の小さな村を訪れ
た時のことです。1980年代、アラブは建設ブームで、その現地調査の為の訪問でし
た。飛行機が目的地に到着し、降りた客は10人位でした。
ここでの最初の仕事は、村長さんを訪問して現地調査の許可をいただくことと、村役
場から調査団に同行してもらう案内者を選んでもらうことでした。日本人一行の空港
到着は、既に村長さんの耳に入っていました。今までこの地を訪れた日本人は無く、
またその日本人がアラビア語を話すという噂はいち早く村人に広がり、大勢の村人が
村長さんの家に集まっていました。私たちが到着すると、村長さんは鷹揚に出迎えて
くれました。「アハラン ワ サハラン(ようこそ)、遠路お疲れでしょう。さあ、
ごゆっくりお休みください」「そしてその後食事をとってお帰りなさい」
鶏がコッココと鳴く声がしました。しばらくすると、直径1.5m位の大きな盆に、山盛
のご飯に鶏(きっとさっきの鶏でしょう)の丸焼きを散らした料理が用意されまし
た。ご飯は、カプサともマンサフとも呼ばれるヨーグルトで炊いたご飯(これは、結
婚披露宴などの祝宴用の食事)です。私たちが隣りの部屋で休んでいる間に急いで準
備をしてくれたのです。主だった村の方々と一緒に、右手をご飯に突っ込み、それを
握って口に入れていきました。ご飯は熱くて手が火傷するほどでしたが、食事は美味
しく、村人たちの心からのもてなしに話題も弾みました。
長老の村長さんは、話題が豊富で、日本の事も、世界の事情も良く理解していまし
た。教養の高さも、普通のアラブ人なら誰もが持ち合わせているもの。これは、特に
驚くべきことでもないのです。やがて、未だ調査の仕事は完了していないことをお伝
えし、おもてなしに感謝して別れの挨拶を交わしました。総ての調査業務が終り、急
ぎ空港に戻りました。しかし、残念ながら予定された飛行機が既に飛び去った後で、
真っ暗闇の空港には誰もいませんでした。次の飛行機は4日後です。結局、400kmの
砂漠を車で走ることにしました。
私たちは村の野外喫茶で、普段は羊を運搬するジープを持った運転手を雇いました。
2時間ほど走ると運転手はハンドルを握りながら居眠りを始めました。事故を起こさ
れても困るので、急遽車を止めて、全員仮眠を取ることにしました。いびきの凄いM
さんを車の中に置き、Dさんは車の下にもぐりこみ、私は車の脇に陣取りました。満
天の星の下、昼間の疲れからすぐに眠りにつきました。ところが、すぐに目を覚まし
てしまったのです。身体がたがた震えるほどの寒さ・・・乾燥した砂漠型の気候は、
真夏の昼は摂氏50度を越えても、夜は気温が4、5度に下がり、凍えるような寒さ
になってしまうのです。運転手をたたき起こし、再び道の無い砂漠を走り、ハイウェ
イに出ることにしました。朝日が出ると、8時頃なのにもう暑くなりました。全く夢
のような一日でした。
執筆:片山 廣
アラブ イスラーム学院顧問
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┃3. アラブの詩を楽しむ!
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【詩はアラブの心】
アラビア詩は、美しい音韻に富むアラビア語の上に奏でられる歌曲として、アラブ人
が記したものであり、彼等の生活の中にあった、戦闘や、習慣、伝統、道徳、性格、
価値観、などの総体を記録した集大成である。
彼等が歌い、詠んだ詩や歌は、そこに住む人々の尊厳、血筋や部族への誇り、強靭
さ、挑戦者への勝利などについて、アラビアの詩人達は、生活を通した人間の生き様
や姿をそのままに記録したのである。訓練に明け暮れる騎士道での勝利は、安易さに
打ち勝つ強い意志の賜物であり、絶望や後退への道ではなく、前進と忍耐と勇気と強
靭な力に裏付けされ、現実に対処することでもあった。
そうした自然の環境にあって、そこに生きる家族や愛する兄弟たちを護るための努力
と献身と勝利が存在していた。
こうして、研究者、社会学者、人文学者達はこれらの詩歌を通じて、アラブ人気質
が何かを知ることが可能となったのである。これらの詩は、語りや歌となり、各地に
移り伝えられ、容易な記憶としての特性をもつ唯一の情報手段として、当時から現在
に至るまで、アラブ生活の特長や動向を克明に残してきた。
アラブ人の生活、性格、道徳などを研究する学者達は、それらを基本資料として部
族同士が固く守る掟を知り、同じように、その性状や、アラブ的思考、好悪の感情、
愛情の表現、家族愛、兄弟愛、部族愛、そして、彼等が属する部族や血筋の誇り、敵
襲から財産や生命を護るための努力、そして尊厳を保つことなど、部族を中心に織り
成す様々な事柄を知ることができたのである。それと共に、アラブの性格や心情が、
人間性と人間学の精髄であり、それらがイスラームへの改宗に連なり、彼等が雄弁の
民、修辞学の徒となっていき、そこに最も優れた、美しい奇跡の言葉であるクルアー
ンの降臨があったのである。その奇跡の言葉はクルアーンを暗誦することで死をも超
越する神的な言語となった。
我々が知るアラビア詩の学問について、端的に言うならば、古きアラビアで、砂漠
の生活を通して起こったことの記録であり、らくだや、食事、水の補給から、家族と
の別離などの心情を綴る、旅行の詳細について記したものである。
それは常時の旅といえるものであり、交易のため、草木や水を求めて、又は、敵部
族から逃れるという旅であった。このようなときに、アラビア詩人はその状況を詳し
く観察しながら心に躍ることを形容した。そこに語彙や意義が迸り、珠玉の言葉が躍
動し、生産されていった。こうして、多くのアラブ部族にあっては、詩人が誕生し、
その詩の才能を知ると、宴を開き、彼を誇りとした。そして、他部族とそれらの詩を
競い合ったのである。こうした理由から、アラブ初期の文明は、一般的な騎士たちの
競争(オリンピック)と並んで詩の競争が行われた。その集りは、オカーズ市として
知られ、イスラーム以前から行われ、以後も、神聖月の巡礼期間に開催された。そこ
では長編詩が黄金の額に入れられ、カアバ神殿の垂幕に吊り下げられ、同じく、人々
の胸の中に詩の作者と共に長く刻み込まれた。こうして優秀な詩文は特別視され、他
方で多くの宗派や学派に別れたのである。
いずれにしても、イスラーム以前そして以後も、それらの詩、文学、文化、芸術
は、尊重された。かくして、初期のクルアーン注解学者たちは、その正しい言葉使い
や、修辞学を検証したり、その意味や同義語を確認するのにアラビア詩を引用してい
る。又、アラビア語文法学においても、アラビア語の語彙や文や音韻に関して、昔の
アラブ人が話していたように用いる。
こうしてアラビア語は、アラブの記録資料とクルアーンの啓示により、他のいかな
る言語よりも変化や喪失から護られて、生きている強い言語として続いてきたのであ
る。アラビア詩も又、美しいアラビア語の音韻を歌いあげ、英雄伝や武勇伝、騎士伝
を語り、特に当時の外国軍勢である、ペルシャ、ローマとの戦いに於ける勝利を語
り、それを"アラブの日々(アイヤーム・ル・アラブ)"と名づけて、その日付と名前
を詠んでいる。我々はそれらが、現在のアラブ詩人や現代詩のみならず、ヨーロッパ
文学などにも、その形式や内容に影響が及んでいることを否定できない。だが、アラ
ビア語の正統言語の保持は、その形、表現法、内容、生活様式、環境、に至るまで続
いており、それは今後とも人間性を高めるために貢献するであろうし、アラビア詩は
アラブ人の希望を表現するものとして存在するだろう。
執筆:ジャマール ザイトゥーン
アラブ イスラーム学院講師
4. 預言者ムハンマド伝
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【預言者伝を読むにあたって】
この世で最初にアッラーの預言者として創造されたのはアーダムでした。彼に続くそ
の後のすべての預言者たち、イブラーヒーム、ムーサー、イーサーたち(彼らに平安
あれ)はアッラーにより、彼らが遣わされた特定の民族・時代のための啓示を授かり
ました。
そして最後に預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)がアッラーから啓示を授かり
ました。
預言者ムハンマドは最後の預言者で、アッラーがムハンマド以後新しい預言者を遣わ
すことはありませんでした。
そしてこの啓示は、アッラーによって創造された全てのもののために、時代・土地・
民族・言語にかかわりなく下されたものでした。
アッラーはアルクルアーンの中で次のように仰いました。
『われは全世界の慈悲となるべく汝をつかわした。』
ここでわかることは、至高のアッラーは預言者ムハンマドを、アッラーが創造された
全てのものに対して遣わされたということです。
つまり、人間のためだけではなく、また、アラブ人のためだけでもありません。
全ての預言者たちはアッラーの唯一性、そしてアッラーへの絶対帰依を説きました。
というのも、彼ら預言者たちを民に送ったお方こそが唯一無二のアッラーだったから
です。
ムハンマドも、他の預言者たちも、神ではありません。
ムスリムはアッラー以外のいかなる存在も崇拝しません。
そしてそれは預言者たちに対しても同じです。
預言者たちは、私たちが正しく幸福に生きていく方法を知るためのお手本として、
アッラーに選ばれた者たちなのです。
ですから、私たちが預言者たちの歩んできた人生について学び、模倣することは、私
たちを必ず正しい道へと導いてくれるでしょう。
ムハンマド アル・トゥワイジュリー著
「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)人類への恩恵」の翻訳より
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■アラブ イスラーム学院
http://www.aii-t.org
■アラビア語カフェ
http://www.aii-t.org/j/maqha/
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