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1.出身と学問的背景:
彼の名はアブー・アルアッバースィー・ビン・ジャアファル・ビン・ワハブ・ビン・ワーディフ。9世紀のアラブ人地理学者であり、また歴史学者です。アッバース朝ヤーコーブの出身なので、アルヤーコービーと呼ばれました。バグダッドで生まれましたが、若い時にその地を離れ、アルメニア、ホラサーン、エジプトで暮らしました。
曾祖父ワーディフは、アッバース朝のハリーファ、アルマンスール統治下の行政高官であり、アルメニアとエジプトの総督も務めました。アルヤーコービーの没年は、西暦891年だと言われています。
アルヤーコービーは、若い頃から旅を好み、外国の伝聞や、それらの国々への往路や距離に強い関心を持ちました。彼の著書「諸国記」は、彼のそうした性向を顕著に示すものです。
実際に彼は多くの国々を訪れており、主な訪問国はアルメニア、ホラサーン、インド、パレスティナ、エジプト、そしてマグレブ諸国です。エジプトでは、トゥルーン朝(868−905)の人々に歓迎され、その人柄と知識が尊敬を集めて大変厚遇されたといいます。
2.学問的業績:
「諸国記」は、現在まで残っている貴重な地理学書、また紀行書の一つです。この書は現在、ドイツのミュンヘンに保管されていますが、当時の完全な形のままではありません。アルヤーコービーはこの書を死の直前、つまり891年に出版しています。この書の各地に関する情報は、伝聞の収集に加え、彼自身の多くの見聞や経験から得られたものでした。
「諸国記」の著作においてアルヤーコービーは、地理的観点からよりも、むしろ各地の詳しい描写に重点を置きました。そのため多くの情報が大変読みやすく、魅力的な方法で紹介されているのです。
彼はこの書に記した地域を、東・西・キブラ(南、またはアルゴ座の方角)、北(大熊座の方角)によって4つに分けました。そしてそれらの地域を州単位に分け、地域分割の方法を新しく塗り替えたと言われています。また彼は当時の各地域間の往路についても、貴重な情報を書き留めて、人々の強い興味を惹いたのでした。
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