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1.出身と学問的背景:
アラブの地理学者アルバクリーを紹介しましょう。
彼の名はアブー・ウバイド・アブドッラー・アルバクリー。アンダルス・ウマイヤ朝が没落した後、ターイファと呼ばれる小王国群に分裂していたターイファ小王朝群時代の西暦1040年に、当地のコルトバで生まれ、1094年に没しました。アンダルス最大の地理学者と言われる人物です。
アルバクリーの父と祖父は、かつてアンダルスの大西洋沿岸都市セビリヤの西に位置するワルバ(ウエルバ)とシャルティーシュ(サルテス)という2つの地域を治める総督でした。しかし父は、その領土が当時セビリヤの領主たちであったアッバード朝(西暦 1023〜1091年)の手に陥落すると、家族と共にコルトバの地へ落延びました。
当時のコルトバは、アンダルス・ウマイヤ朝が没落した後もまだその主権を保持しており、優れた文化の都でした。そのためコルトバは、権力を失ったアンダルス各地の総督や領主たちの避難先でもあったのです。
この文化と学問の都で彼は勉学に励みました。そして後にセビリヤのある総督の宰相を務め、各領土の総督たちとの間で、外交政務を果たしました。しかしやがてアッバード朝がムラービト朝に倒されると、アルバクリーは著作のために再びコルトバへ戻りました。
2.学問的業績:
アルバクリーは生涯をアンダルスで過ごしましたが、アラブイスラーム文化の歴史に、 2冊の重要な著書を遺しました。
その一つは、多くの地への往路を記し、また様々なイスラーム世界の国々を描写した「道里および諸国記」です。この書は部分的に失われてはいるものの、残っている部分には、北アフリカの詳細な描写や、カスピ海沿岸地方の住人についての記述が含まれています。それらはアルバクリーと、彼が参考にした過去の地理学者たちの努力によってもたらされた貴重な情報でした。後に、ヤークートやディマシュキーのような多くの地理学者たちがこの本を学び、学問的影響を受けます。
そしてもう一つは、辞典の形式で書かれた地理学書です。その書の中で彼は、すべての国々を整理し、アルファベット順に並べました。アルバクリー以前の時代には、この辞典の形式はよく親しまれていたものでしたが、時代と共にその重要性が見失われていたのでした。アルバクリーは、その形式を有益なものと再認識して復活させたのです。そしてその書の中で彼は、自分や過去の地理学者たちが、辞典の形式を用いた理由や考えを述べています。
アルバクリーの地理学辞典は、地理学的情報を述べるにとどまらず、それに加えて多くのテーマを扱いました。例えばアラビア半島に関する項では、聖クルアーンや預言者ムハンマドのハディース(言行録)、またジャーヒリーヤ時代の詩や武勇伝、戦記などで語られている場所の名前を提示し、またアラビア半島諸国の国境や主要な地域、例えばアルヒジャーズやティハーマ、アルヤマン(イエメン)などについて述べ、更にアラブ諸国の各部族やその移住の歴史に関して記しています。そのため、地理学や古代アラブ史、またジャーヒリーヤ時代のアラビア詩といった重要なテーマを扱う者にとって、この書は同種の著書の中でも特に秀逸な参考書とみなされているのです。
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