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1.出身と学問的背景:
アラブの偉大な科学者イブン・アルハイサムを紹介しましょう。
彼の名は、アブー・アリー・アルハサン・ビン・アルハイサム。ヨーロッパではラテン名「アルハゼン(アルハーゼン)」として知られています。西暦965年にバスラで生まれ、1039年ごろにエジプトで没した科学者です。彼の学問の領域は大変幅広く、その主なものは数学、哲学、神学、天文学、医学、物理学などで、特に知られているのは光学の分野です。
かつてイブン・アルハイサムは、氾濫などで起こるナイル川の水量変化に対して、自分なら有効な手立てを打つことができるという自信を持っており、実際にエジプトの歴史学者アルキフティー(西暦1172〜1248年)の「医学者伝」には、イブン・アルハイサムの次のような言葉が記されています;
「私がエジプトにいれば、ナイル川の水量の増減に際して、有効な仕事をなすだろうに。」
この言葉はやがて当時エジプトを支配していたファーティマ朝の王アルハーキム・ビ・アムリッ=ラー(西暦996〜1021年)の耳に入り、イブン・アルハイサムは王の招きでエジプトへ赴くことになりました。
そしてイブン・アルハイサムは、ナイル川全長の測定とその全貌調査を正式に請け負い、王の命を受けてさっそくナイル川上流へ向いました。
そしてアスワーン近くに着くとその全域の調査に乗り出したのですが、やがてナイル川の広大さとその広がりの深遠を知って、自分の考えが余りにも早計だったことに気付き、ナイル川の全貌調査など自分には到底不可能であることに気付いたのです。
そこでイブン・アルハイサムは、止む無く王の許へ戻り、約束が果たせなかったことを謝罪しました。王は謝罪を受け入れて彼を行政官に任じましたが、イブン・アルハイサムは、それが王の計略であって、本心からの恩赦ではないのではないかと恐れ、狂気を装いました。そして王の死後も狂気の芝居を続けてようやく城から出され、その後はアズハルモスクのそばに住みついて残りの生涯を、研究と著作に捧げました。彼の学問的業績は多岐にわたる偉大なもので、ダマスカスの医学者イブン・アビー・ウサイビア(西暦1203〜1270年)は著書「医学者たち」の中で、彼をこのように評しています;「イブン・アルハイサムは秀でた魂と強い頭脳を持ち、その学問は優れて多彩であった。数学においては同時代に彼に匹敵する者も追随する者もなかった。彼は常に学究に没頭して多くの著述をなし、大変敬虔で質素な暮らしをしていた。…」
2.学問的業績:
イブン・アルハイサムは、多種多様な分野で多くの著書を遺しました。その主要なものには、「視覚論」、「計算の基礎全書」、「工学と計算におけるユークリッド原理の解説書」、「工学的諸問題の解析書」、「幾何学書」、「光学」、「月のかさと虹の書」、「日食の書」、「世界の形体」などがあり、その他にも、様々なレンズについての解説や、インド数学、月齢、星の見え方、星の高度、影のでき方などについての解説書も遺しています。
それらの中でも飛び抜けて後世の学問に影響を与えたのは、光学の分野で有名な著書「視覚論」です。この書は光学の世界に革命を起こしました。イブン・アルハイサムは、後に近代光学の基礎となった新しい理論にたどり着き、それによってそれまで支持されていたプトレマイオスの視覚理論の多くの部分を否定しました。
例えばものが見える現象について、プトレマイオスの理論では、目から出た光が対象を走査し、それによって目の中に像ができるのだとしていたのですが、イブン・アルハイサムは「視覚論」の中でその説を退け、太陽その他の光源から出た光が対象に反射して、それが目に入って像を結ぶのだという正しい理論を提示しました。つまり彼はものが見える現象を解明した最初の人物なのです。
そして彼は実験を重ねて光の反射や屈折を研究しました。「視覚論」の中には凹レンズの拡大作用について記されており、弱い視力への処方として拡大鏡が有効である可能性を示しました。これが後に中世ヨーロッパに伝わり、後の拡大鏡や老眼鏡の発明につながったのです。
またイブン・アルハイサムは眼球に完全なる解剖を施したことで知られ、「視覚論」の中でも、眼球の構造と各部分の役割について記しています。現在も伝わっている眼球内部の部分の名称は、彼の命名によるところが多いと言われています。
その他にイブン・アルハイサムが論じたものに、「目の錯覚」現象があります。つまり人が2つの異なった対象と自分との距離を比べる時、その一方だけが地上の物体と接している場合、実際にはより近い方の対象が遠く見え、より遠い方の対象が近く見えるという現象です。
例えば、地平線へと続く広い平地の先に見える町(つまり町は大地という物体に接する対象)と、山のはるか上に出ている月(地上の物体に接していない対象)とを同時に見比べると、実際にははるか遠い月の方が、地平線の先に見えている町よりもずっと近く見える目の錯覚現象を指します。
イブン・アルハイサムの「視覚論」は13世紀にはラテン語に訳され、「アルハゼンの光学宝典」と改題されてヨーロッパ各地に広まり、17世紀までヨーロッパの光学研究者の教科書として使われました。そしてこの書の大きな影響を受けて、ケプラー、デカルト、ニュートン等が更に光学を発展させて行ったのです。
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