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1.出身と学問的背景:
10世紀のアラビア医学者アッザフラーウィーを紹介しましょう。
彼の名は、アブー・カースィム・ハラフ・ビン・アッバース・アッザフラーウィー。アンダルシア・ウマイヤ朝がコルトバ北西部に築いた都市で、彼の故郷であるアッザフラーゥに因んだ名前です。ヨーロッパ人たちは彼の名をさまざまなラテン語で表しました。
アッザフラーウィーはアラビア医学において最も偉大な医学者、そして外科医に数えられ、後世の医学のために偉大な足跡を遺しました。彼はアンナースィルの名で知られるアンダルシア・ウマイヤ朝第8代目統治者、アブドッラフマーン3世の主治医を務め、その後彼の息子で第9代目の統治者、アルハカム・アルムンタスィルの主治医を務めました。西暦1030年頃に生まれ、1106年頃に没したという説が有力ですが、彼の人生についての詳細は余り知られていません。
2.学問的業績:
彼が遺した著書には、「アッザフラーウィー」の名で知られる大書や、「著述を不得手とする者のために」などがあり、何度も翻訳・出版されました。
アッザフラーウィーは高度な技術を持つ外科医であっただけではなく、非常に豊かな経験を持つ医学者でもありました。彼は医学書の中で、近代の医学書のスタイルのように、異なる部位の病気を、それぞれ独立した項目に分けて論じました。例えば目や耳、咽喉の病気に一項目、歯や歯茎、舌の病気に一項目、そして女性の病気や助産術に一項目、また骨接ぎと脱臼や骨折の治療に一項目、といったように分類して言及したのです。
アッザフラーウィーは、数々の病気に対する治療法も開発し、壊疽や出血症状に対しては、患部を焼く治療法を施術しました。また彼は、初めて血友病を発見し、描写した人物だとも言われています。
アッザフラーウィーは後のヨーロッパの医学に大きな影響を与えました。彼の数々の著書は多くの言語に翻訳され、ヨーロッパの医科大学で学ばれました。実際に彼の著書は、少なくとも15世紀の初頭から18世紀の終わりまで、ヨーロッパの医師たちの間で、確かな医学全書として用いられていたのです。
しかし残念ながら、アッザフラーウィーの医学的発見の中には、彼の名が発見者として挙げられることなく、のちにそれを学んだヨーロッパ人たちの発見として伝えられたものもあるのです。
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