アラブ社会
 

【サウジアラビア王国におけるテロリズム実情シリーズ2】


2.サウジ・イスラーム社会における家族の存在の必要性

 すぐに本題に入る前に読者各位に思い出してもらいたいことがある。それは私 がテロとサウジアラビアの関係についてのシリーズを、十分な詳細を含んだ序説 から始めたことである。そして私がこのシリーズにおける私の役割を、通常とは 異なった方法、つまりサウジ社会がその上に成り立っているところの姿、また個 人がそこにおいて教育され成長するところの環境の説明という次元に留めるとい う方法を用いるということはそこで既に述べた。これにより読者は、サウジのム スリムと過激なテロリストとの間の近似性あるいは無縁性を独自の視点から結論 付けることができるというわけである。今回の記事を通して私がまず最初に話そ うとしていることはサウジアラビアにおける家族、つまり個人を最初に包括し、 それから個人がそこから外の世界へと飛び出していくところの家族の地位につい てである。

 サウジアラビアの法源であるイスラームは、家庭を幼児の保護と世話、肉体 的・精神的育成、そこで愛情や慈悲という感情や必要な責任感を身につける働き をもつ自然の保育所とみなしている。そして人間の仕事が偉大なもので、地上に おけるその役割が最も大きな役割であるゆえに、人間の幼児期は将来のための準 備と教育をよりよくするために他の生き物のそれより延長された。また両親と共 にある必要が非常に大きくなり、静かな安定した家庭が人間のシステムに必要不 可欠になり、またこの人生における人間の本質とその形成、及びその役割には欠 かせないものとなった。そして家庭以外のいかなる組織もその代わりにはなら ず、それどころか幼児の成長と教育にとってむしろ有害であることは既に科学的 実験によって確証されている。

 サウジ社会において家庭は子供に対して最高の責任者であり、子供の性格と素 行に最も大きい影響を与え、彼らの行動を公然と監視するものと見なされてい る。そして正しく建設的な世代が社会に育まれるために、夫婦という家庭の支柱 に最も大きい関心が払われている。それゆえイスラームの教えに基く諸習慣は、 結婚前に払うべき様々な注意の必要性を強調している。つまり結婚前の最初の義 務は、男は宗教的にしっかりした良い女性を探すことで、女性はといえばその保 護者が彼女のために良い男性を選ぶことである。それは彼らが互いに良い暮らし を営み、彼らの間に愛情と慈しみが芽生えるためである。そして良い男性と良い 女性が1つになれば、それは良い社会の核である良い家族の形成につながる。そ こで生まれた子供たちは彼らから身体的、知的、精神的教育を受け、その模範的 環境の中で彼らの将来の人生における活動や素行、方向性などが大方において決 められる。幼少時に精神的に培ったものや家庭において両親から育まれたもの は、通常成長後もそれを変えるのは難しいほどに確固として根付く。このような 理由から、両親は理論的指導や教育とともに、その行いにおいて子供たちの良い 模範とならなければならない。悪い模範が行う教育に利益はないのである。また 行いというものは言葉よりも強く心に訴えかけるものであり、それが子供が両親 に日常的に認めるところのものであればそれは尚更である。そして家庭における 両親の悪い模範は、子供が家の外で目にする悪事と助長し合う。子供はそのよう な中で悪事を好み、良いことを嫌うように育ってしまう。実際のところ子供の父 親と母親に対する諸権利は沢山あり、非常に重要なのだ。しかし両親は物質的な 意味において子供の存在の直接の原因であるから、両親の子供に対する権利につ いてまず話そうと思った次第である。

 あなたの存在の原因である者のあなたに対する権利は、他のいかなる者の権利 よりも重要であることは当然であろう。それどころかその権利は、あなたが彼に 対して有する権利よりも重要なのである。もしこの意見に同意されるのなら、ム スリムの啓典クルアーンはこれらの権利を確証するために偉大なる主アッラーの 御許から下されたということを述べるのは今私にとって容易くなる。読者は至高 のアッラーが偉大なるかれの権利に、子供に対する両親の権利以外のものを並置 しなかったことを知って驚くであろう。主アッラーはクルアーンの中でこう仰ら れている。「アッラーを崇拝して何ものをもかれに並置してはならない。そして 両親に孝行するのだ・・・」(女人章:36)また別の箇所ではこうも仰られて いる。「言え、“来なさい。あなた方の主があなた方に禁じられたことを語って 聞かせよう。かれに何ものをも並置してはならない。そして両親に孝行せ よ・・・”」(家畜章:151)主アッラーが人々にかれを崇拝するというかれ の権利を命じ、その逆のこと−つまりシルク(訳者注:多神教。アッラー以外の ものを崇拝すること)−を禁じ、そして両親の権利を命じているこのようなクル アーンの句というのは、何度も反復されている。そして両親の権利とは孝行され ることであり、その逆の事−つまり親不孝−の禁止である

 またクルアーンの別の箇所では、両親の優越性や子供が彼らを気遣い奉仕する こと、そして彼らに良い返事をすべきことについても言及されている。母親は子 供の妊娠、授乳、その世話と配慮ゆえの不眠などに疲労し、父親はといえばその 教育や躾け、生活の糧の獲得などに奔走する。これらのことにより子供は、彼ら に感謝し、彼らへの善行や強い絆を保つこと、奉仕、慈しみ、彼らを喜ばせ、幸 せな気分にさせることなどの諸権利を果たさなくてはならない。両親への世話や 奉仕は、特に彼らが老齢に達した時により必要なものとなる。なぜなら彼らは老 齢による障害により幼少のような状態に逆戻りし、様々な配慮が必要になるから である。両親は彼が不能の時代に彼らの彼に対する権利を果たしたのであるか ら、彼もうんざりしたり嫌悪感や不潔感などを抱いたりせず、彼らから言われる 前に子供の両親に対する権利を果たさなければならない。むしろ率先してそうし なければならないのだ。また両親は子供の大小便やよだれ、吐しゃ物などの汚物 を厭わなかったのだから、子供はそのことを念頭に置き、どのような場合にでも 彼らに良い返事をし、そして彼らの権利の遂行が主の崇拝行為であることを知ら なければならない。この件について最も詳細に渡って言及されたクルアーンの章 が、次に示すものである:

 「われら(アッラーのこと)は人間に両親への孝行を命じた。母親は子を辛い 思いをして懐胎し、苦労して分娩した。そして懐胎から分娩までは30ヶ月間要 するのだ。子は成長し、40歳にも達すればこう言う。“主よ、私と両親にあな たがお与え下さった恩恵に感謝させて下さい。そして私にあなたがお悦びになる 行いをお許しになり、私の子孫において私を正して下さい。私は実にあなたに悔 悟しました。私はムスリム(服従した者)です。”われら(アッラーのこと)は 彼らの行った善行を受け入れ、天国の住民として彼らの悪行を大目に見る。彼ら に約束されていたところの、真実の約束ゆえに。一方、両親にこう言う者もい る。“全くうんざりするなあ、(死んだ後に)蘇らされるって!?何世紀も前に 死んだ奴らはどこに行ったって言うんだよ?”そして彼の両親は主に助けを求め てこう言う。“何ということか、信仰しなさい。主の約束は真実なのですよ。” すると彼は言う。“そんなのは大昔の作り話に過ぎないんだよ。”このような者 たちこそ、彼ら以前の時代の人間とジンからなる諸社会を滅ぼしたところの御言 葉が実現するところの者たちである。彼らこそは損失者であるのだ。」(砂丘 章:15〜18)

 そして子供に彼らを扶養する能力がある限り、両親、あるいはそのどちらかを 彼らの生活費捻出のために働かせることは、例え彼らにその能力があったとして も、親孝行に真っ向から衝突することである。アッラーはこの親孝行ということ において、いかなる人的社会システムを創り出した者の脳裏にも浮かばないよう な事を定めた。つまり親孝行の内でも最も孝行な行為を、両親の死後に彼らが親 しくしていた友人と絆を保つこととしたのだ。またイスラームという教えが両親 の権利を重要視していることにおいて、前出した全てのことよりも更に驚くべ き、素晴らしいことを申し上げれば、読者の皆さんは驚かれるかもしれない。つ まりムスリムはその宗教においてとても排他的と言われているが、イスラームの 教えは両親の権利を特別な重要性を持って強調し、どのような教えを信じていよ うと両親への孝行を命じているのである。それゆえ例え両親がムスリムでなくて も、彼らを遠ざけたり手ひどく扱ったりすることは、ムスリムのすることではな いのだ。一体家族の相互保障や一体化の維持という面を徹頭徹尾に渡って目的と したこのシステムを上回るものがあるだろうか!?

 さてサウジ社会と言えば、頭から先っぽまでイスラームの社会である。もし全 ての民とは言わなくても、大方の者はイスラームの教えを実践している。このよ うに社会は、権利を有する者にその権利を満足させることに対して専念するので ある。父親は子供たちへの奉仕と教育に専念し、子供は父親と母親への孝行にお いて専念する。日常的な瑣末な光景がこの件に関して最も良い証拠を提供してく れるだろう。例えば私は夫とともに、家族が住む町から100キロほど離れた町 に住んでいる。それにも関わらず週に1、2回は両親を訪れ、彼らの身の回りの 事を手助けする。私の他の兄弟もこのようにしている。また私の親戚の中には、 今の仕事の4倍の報酬で新しい仕事のオファーを受けたが、そうすると両親から 遠く離れた町へ移転しなければならず、彼らに仕える事が難しくなるという理由 でそれを断った者もいる。また別の親戚は40歳を越しており、父親を亡くし、 母親は病気なのであるが、まだ結婚していない。その理由を訊ねると彼が言うこ とには:「新しい生活を始めることで、母親の世話が出来なくなるのが嫌なんで す。彼女には私の他に彼女の面倒を見る者がいないので・・・。」また私の知る 別の女性は56歳であるが、同様に母親に付きっきりで奉仕するために結婚を諦 めた。また別の50代後半の男性は父親の借金の積み重ねを返済するため、彼の 全財産70万ドルを費やした。そして奇妙なことには、これらの人々、あるいは その配偶者、あるいはその子供たちからこれらの行為を揶揄するような言葉や不 満の言葉を聞いたことがないのだ。それどころか本人の言うことには、他の兄弟 に先駆けて親孝行できたことで幸福だと言うのだ。このような話は尽きぬほど沢 山ある。

 少々話が長引いてしまった。それでは今回はこれ位にして、次回は主の思し召 しならば、子供の両親に対する権利について話すことにしよう。


筆者:ラシャー マンスーリー
アブドルアジーズ国王大学元研究員

                

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