中東学生会議
 

【ガザと日本の距離】
 

中東を初めて訪れたのは2002年の夏だ。インカレサークル・日本中東学生会議によって中東4地域で開かれる会議に参加したことがきっかけだった。そして2003年の夏、私は3度目の中東に降り立った。一番悲しかったことはパレスチナ、ガザ地区への訪問を拒否されたことだ。去年の夏はシリアでもエジプトでももちろん素晴らしい体験をした。しかしガザでの思い出は私にとって特別だ。

ガザで過ごした4日間のことは頭にこびりついて今でも離れない。家屋の破壊現場を見た。親を失った多くの子供たちを目にした。でもそれ以上に驚いたことは、それでも人々は生活しているし、友達も楽しそうに話しかけてくる、そんな普通の日常生活が普通に存在しているという当たり前のような現実だった。日本にいたころは、パレスチナとはどれほど危険で計り知れない所なのかということにばかり思いを馳せていたが、ガザに着いた途端自分が思い違いをしていたことに気が付いた。ガザは遠くて危険な場所ではなかった。人は普通に暮らしを営んでいる。かけがえのない友達だってできる。ユーモアの絶えないパレスチナ人はいつでも私たちを笑わせてくれた。確かに危険でないわけではないけれど、決して遠くはない。

2002年の夏、一番の収穫。それはガザで唯一無二とも呼べる友を得たことだ。話す言葉も文化も違う土地で、それを超えて分かり合える存在がいたことを知り、私は嬉しさと驚きで夜も眠れなかった。初めて出会った時、これほど親しくなり互いを大切に思い合うようになるとは微塵も思わなかった。日本人以上に私に似ていて、多くの点で理解し合えるパレスチナの友人は、私の心の支えであるといっても過言ではないだろう。

ガザの友人とは連絡を取りつづけている。今でも私にとって必要不可欠な存在だ。今回現地で友達に会うことができなかったことは悔やんでも悔やみきれない。しかし、私には日本でやるべきことがたくさんある。パレスチナの友人はたびたび私にこう言う。「パレスチナのことを、何でもいいから、少しでも多くの人に伝えてほしい」。友人とまた会う日まで、私はガザのことを友人に、近所のおじさんに、両親に、妹に、たくさんの人に伝えていこう。

執筆:増野伊登
国際基督教大学教養学部社会科学科2年

                

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