アラブ圏を旅してみたら
 

【シリア】

(ダマスカス→ラタキア→アレッポ→デリゾール→パルミラ→ハマ)



 シリアの首都ダマスカス。ここにはレベル1の時のクラスメイトが青年協力隊 員として滞在していたので、彼にベイルートからのタクシーが着いた場所まで迎 えに来てもらい、そのままアパートに居候させてもらって、そこを拠点に観光し た。JAICA関係者は他にも大勢いて、何人かのお世話になった。クラフトセン ターでウガリット文字のアクセサリーを作る時も店員に「JAICAか」と聞かれ、 「友人がJAICAだ」と言ったら値引きしてくれた。

 ダマスカス滞在中にラマダンが始まり、交流基金の方で赴任中の女性2人とイ フタール(日没後の食事)を食べに行く事になった。レストランではウマイヤド モスクからの中継をTVで見ながら食事開始の合図(?)を待つ。テーブルには とてもじゃないが食べきれない量の料理が並ぶ。私たちは食べきれず、なかなか 食が進まないのに周りのテーブルは次から次へと料理が減っていった。その早さ に驚く。結局私たちは大量に残してしまった。一人分を4人で食べても大丈夫 だったのではと思う。
 その後カシオン山からの夜景を見に行った。地元民も多く集まる場所でカフェ やレストランもあるが、場所柄やはり高いらしい。夜景も綺麗だが、ここは山の 斜面も綺麗だ。殆どが違法住宅らしいが、その白く輝く明かりがとても美しい。

 ダマスカスから時計回りに国内を夫と2人でまわる。アレッポに行った時に、 ちょうど友人もアレッポ大学で行われる日本フェアに参加するというので、大学 に見学に行った。日本語を勉強している学生達やJAICA関係者による日本文化の 紹介で、福笑い、折り紙、けんだま等に挑戦する大勢の人でにぎわっていた。特 にゴラン高原に駐留中の自衛隊員による武道演舞(空手・剣道)は大人気だっ た。友人のサックス演奏も大好評で演奏後サイン攻めにあっていて驚いた。

 ダマスカスに戻ってきてから、協力隊の日本語教師隊員に頼み、ダマスカス大 学の日本語の授業も見学させてもらった。学生による書道も教室の壁に貼って あって、それがまた皆とても上手だった。正直、夫より上手い。初級のクラスは 日本に留学経験のあるシリア人女性教師で、上級は協力隊員による授業。その上 級クラスは生徒5人位だったが、全員ペラペラだった。素晴らしい。私たちが見 学していたので、アラブ人的考え、日本人的考えの違いというか、意見交換みた いな事も少しできた。ああ、アラビア語でできるようになるのはいつの日か。

日本語クラスの書道作品。ハイサム、サインがおしゃれ。(「柔」に注目)
日本語クラスの書道作品。ハイサム、サインがおしゃれ。(「柔」に注目)


 シリア旅の最後にクネイトラに行くことにした。イスラエルの攻撃で廃墟と なった町で、ダマスカスで許可をもらい、バスで向かう。申請場所へ行くのにア メリカ大使館前を通らねばならず、SPのような人達がいる中を緊張して通る。 許可はすぐ下り、バスでの行き方を教わって向かった。クネイトラ手前の町で、 駐在している兵士に許可書を見せ、クネイトラ入り口まで行き、そこからガイド が付いた。ガイドの案内で崩れた建物、モスク、教会などを回る。圧巻は病院 で、壁中に銃弾跡が残る。「患者が居るのに攻撃してきたのか」と聞くとガイド は「そうだ」と答えた。

クネイトラ:破壊された病院内部
クネイトラ:破壊された病院内部


 ここには国連平和維持軍の設備があり、国連施設と国境は写真撮影禁止だっ た。
クネイトラの入り口となる町は、制服姿の学生も多く、わりと活気があった。子 供達はカメラの前で先を争いポーズを取った。ついさっき見た光景が夢のよう だ。

 シリア最後の夜、友人と3人でオールド・ダマスのカフェに行く。ウードの生 演奏があり、それに合わせて踊る客も多い。誕生日パーティーのグループがケー キ入刀を長い剣でしていて驚いた。

 シリアはとかく危険な国と思われがちだが、治安は比較的良い方だと思う。そ してとても見所が多い。物価も安いし、ぼったくりも殆どない、とても旅のしや すい国だった。


筆者:丸山 範子      
アラブ イスラーム学院 学生

(2007年3月27日更新)

                

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