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彼の名前はウマル イブン アブドゥルアズィーズ イブン マルワーンで、母はライラー ビント アースィム イブン ウマル イブヌルハッターブでした。彼はヒジュラ暦62年にアルマディーナに生まれ、母の祖父である2代目正統カリフのウマル イイブン アルハッターブの素晴らしい資質を受け継いでいました。
ウマル イブン アブドゥルアズィーズはアルマディーナで育ち、多くの学者たちから影響を受けました。当時のアルマディーナは知識と学者たちの中心地だったのです。そして宗教についても理解を深め、特にイスラーム学、アラビア語学、歴史において優れた能力を発揮しました。
アルワリード イブン アブドゥルマリクがカリフに就任した時、アルワリードはウマルをヒジュラ暦87年、アルマディーナの知事に任命しました。そして実際にそこで仕事についた時、ウマルはアルマディーナの法学者たちを集め、彼らの忠告とアドバイスをもとに仕事をすることを約束しました。
ヒジュラ暦88年にはアルマディーナの預言者のモスク拡張を監督し、同様に新道の開通と、幾つかの井戸を掘ることも監督しました。ヒジュラ暦90年にはカリフ アルワリードはウマルをヒジャーズ地方全土の知事に任命しました。
ウマル イブン アブドゥルアズィーズのカリフ就任
前回皆さんに紹介したとおり、ウマルはカリフ位獲得のために自ら奔走することなく、カリフ スライマーン イブン アブドゥルマリクの任命によってカリフとなりました。
ウマルがカリフに就任すると彼は正統カリフたち(アッラーが彼らに満足しますように)のイスラーム的な慣習に戻り、そのため人々にはウマルを5代目の正統カリフと呼ばれました。ウマルは自分の為す事すべてにおいてアッラーを畏れていました。
そしてウマルは彼の仲間になるための条件をつけ、それは善を運ぶ方法でもありました。ウマルは仲間たちに言いました。「あなたがたのうち、私とともにある者は次の5つの性質を持っていなければならない。私が公正に物事に対処しなかったときには私に何が公正かを示すこと、善行に関して私に協力すること、私に伝えることができない者が必要としているものを私に伝えること、私のもとで誰の陰口も叩かないこと、私と人々の間で課された義務を責任をもって果たすこと。そうすればあなたがたは私の兄弟であり、家族でもある。それ以外の者は私の仲間ではなく、私の前に姿をあらわしてはならない。」
またウマル イブン アブドゥルアズィーズは不正を拒絶しました。これはウマル イイブン アルハッターブがとった態度でもありました。
ある日アゼルバイジャン出身の男がウマル イブン アブドゥルアズィーズのもとへやってきて、その地の役人への不平を言いました。
「彼は私に対して嫌がらせをしました。私から1万2千ディルハムを取り、国庫へと入れてしまったのです。」
するとウマルは書記に言いました。
「この者にその財産を返すよう、すぐにその役人に手紙を書きなさい。」
サマルカンドの民に関していえば、彼らは使節団を送り、クタイバ イブン ムスリムについて、そして彼が自分たちに対して行った不正について不平を言いました。
ウマルはすぐにサマルカンド総督であったスライマーン イブン アビッサラフに手紙を書き、人々のために彼らを裁く裁判官を立てるよう命じ、スライマーンはそれを実行し、人々は裁判の結果に満足しました。
ホラーサーンの民に関しては、アルジャッラーフ イブン アブドゥッラーヒ アルハカミーはウマルに手紙を書きその中でこう述べました。
「私はホラーサーンに来て、人々の信仰心が薄れてしまったのを目にしました。彼らはアッラーに対する義務を行わずジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明時代)に戻ることを好んでいます。彼らには剣と鞭を用いるしかありません。ですが私はあなたの許可なしに事を起こすべきではないと思いました。」
するとウマルは彼に次のように手紙を書きました。
「アルジャッラーフよ、あなたのほうこそ彼ら以上に現世に捕われているではないか。信者、庇護民を正統な権利なしに打ってはならない。あなたは報復を畏れなければならない。あなたはその目の裏切りと心に隠していることをもご存知なお方(アッラーのこと)のところへ行くのだ。すべてを包括しているクルアーンを読みなさい。」
それでは皆さん、次回は敬虔なカリフ ウマルの功績についてご紹介しましょう…
筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師 |
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