|
娘の希望により、この夜は政治難民についての話をしました。
接受国の国民、あるいは他国民が外国の大使館に亡命することもありますし、
また国境地域まで行って政治亡命を希望することもあります。そして多くの場
合、その希望は受け入れられます。
また難民の中には、仕事でも活動でも政治には関わっていない人々もいて、そ
れは、人道的見地から北・西ヨーロッパ諸国に受け入れられている何万人という
東・西アラブ人の場合にも見受けられます。
保護を求めての亡命は昔からよく知られたことです。アラブ・イスラーム世界
の私たちの伝統習慣においては、イスラーム以前も以後もそのようなケースが数
多くあったのだ、と私は娘に言いました。
私たちの古典文学には、難民の保護や、難民送還の拒否や、また難民の部族と
その難民に保護を与えた部族との間の戦いについて語られた数多くの物語が残っ
ているのです。
娘は、政治難民について取り上げた1961年のウィーン条約について訊ねた
ので、私は、その条約は難民と難民受入国の権利についての言及を避けている、
と答えました。
しかし、国際法学者たちは多くの国々で―とりわけ南アメリカ諸国において―
多数の人々が使節団の公館に逃げ込む現象が広がったため、このテーマを取り上
げるようになりました。
自国の統治者の不義から逃れるため、あるいは、統治者が自分の地位を揺るが
せにされることを恐れ、彼が武力で倒した前政権の指導者や彼への政権移譲を認
めない人々に対して行う暴挙から逃れるために、彼らは外国の使節団公館へ亡命
を願って逃げ込み、保護を求めたのです。
また国際法学会では、既に1950年にバース市で開催された会議において、
亡命の権利を次のような人々に与え、難民の権利確定のために動いていたのでし
た:
<国家権力による暴力で、生命と自由を脅かされるすべての個人に対して、ある
いは、その権力が個人を守る力を持たないと見られる場合、または、その権力が
そのような暴力を容認、または扇動する場合……、そして国家権力の業務が組織
化されていないか、組織を持たない、あるいは、単一党派が国民個人に生命の保
証を提供しないほどのレベルで権力を支配している場合、外交官はその国の支配
権力の反対を退け、難民に保護を与えることができる。>
私の「小さな娘」―彼女は「大きな娘」と呼んでほしいようですが―はこう訊
ねました。
「難民が大使館に逃げ込んで、どうして無事でいられるというの? 国家警察の
力でなら、大使館の建物を襲撃してその人を捕まえることもできるでしょう
に。」
そこで私は、使節団公館は国際条約に基づいて安全とみなされているのだ、と
答えました。使節団公館は外交官派遣国の延長とみなされるのだ、と。
それは1961年のウィーン条約の最後に、このように、認められているので
す:
<使節団の公館は不可侵であり、接受国の官吏は、使節団の長が同意した場合を
除くほか、公館に立ち入ることができない。>
そしてそれは、このように認定されている原則の一つです:
<外交使節は実際には接受国の特定地域に居住しているが、派遣国(自国)に居
住している者とみなされなければならない。>
要するに、使節団の公館は使節団の国の延長と見なされるため、難民は使節団
公館の中では安全を保障されているのです。
(レバノン内戦の時、ミッシェル・アウン将軍がフランス大使館に避難し、将軍
を無事フランスへ移送できるようになるまで、大使館に何ヶ月も滞在したこと
は、その一例です。)
しかし、大使館が難民を受け入れるのは、<自国を占領している敵から逃れる
者、あるいは、自国政府によって自由と安全が危険に晒され、その追跡から逃れ
る者>に限られており、通常の罪科を犯した者の場合は、その場合の特定の法律
に従い、その者の自国当局に引き渡さなければなりません。
また、使節団公館は派遣国の国土の延長なのですから、その建物の壁自体が、
亡命を求めて国境地帯へ行く者の権利を保障するのです。
亡命が認められた場合、難民はかつての祖国に反対する政治やメディアの仕事
についてはなりません。
多くの場合、難民受入国は難民に彼の専門分野の仕事を確保するか、または、
難民が生活の糧を得ることができる職業技術を教えます。北・西ヨーロッパ諸国
が、人道的見地から、また労働者確保の見地から受け入れてきた難民の状況がそ
うであるように。
それらの国々は、難民の中で専門技術を持たない者たちに、自国の若者が避け
たがる仕事につかせ、それから国籍を与えるのです。
しかし、これらの政治難民受入国は、時に、自分たちが受け入れた一部の難民
による迷惑や失望に遭遇することがあります。そのような忘恩の徒の多くは私た
ちの言語を話す者たちです。彼らは援助や社会保障を悪用するのです。
たとえば、そのような者たちの中には、自分の家族や親類を亡命国に呼び寄せ
る申請をし、それが認められ、彼と身内の生活保護が与えられると、非合法に身
内を故国へと送り返し、あたかも彼らが自分と一緒に暮らしているかのように、
彼らへの生活保護金を受け取り続けるのです。
中には、縁故のある者を高額な費用のかかる手術を受けさせるべく呼び寄せ、
その患者を、自分と暮らす家族として、また生活保護対象者として入院させる者
もいます。しかし後で、実はそうではなかったということが発覚するのです。
そしてそのような詐欺師が知り合いの病人を難民保護対象となっている名前で
入院させ、手術中にその病人が亡くなると、その死亡者は実は保護対象者の身内
ではなかったのだ、と死亡手続きの訂正を申し出る、ということも一度ならず起
きたことです。
そのため当局は、この種の詐欺行為に気をつけるよう呼びかけ、内容確認のた
め、写真入の保険証を発行するようになりました。
また、礼節や道徳を持たない難民たちが詐欺や暴行や窃盗を働くこともありま
したが、それでも彼らは国外追放されず、状況改善のため、精神医学センターに
送られました。
すると娘は、古代文化や伝統で知られるヨーロッパ諸国にいる政治難民たちの
ことを聞いたことがある、と言いました。
彼らがかつての故国に対して反動活動をし、故国の政府転覆を望んで、同じ宗
教の同胞たちの不安や労苦を煽ろうと運動していることに対して、それらの国々
は黙認していることについてです。「どうしてそんなことができるの?」と。
そこで私はこう答えました。
かつて多くの国々を植民地支配した国家には、植民地主義の精神や他民族の資
財を征したいという欲求が未だに生きているのだ、と。
しかし時計の針は元には戻らない。そのためそれらの国々は、「分裂させよ、
そして支配者になれ」という原理を実践します。彼らは難民たちのかつての故国
への敵対心を、民族分裂のための、またかつて自分たちの支配下にあった国々へ
の再支配のための、良い機会だと考えるのです。
しかしながら―それはしばしば起きることですが―、「魔術は魔術師に跳ね返
り」、政治難民たちを好きにさせるそれらの国々は、しばしば、自国民の安全保
障面において、その代償を払うのです。
ここで私たちは話を終え、次回の約束をしたのでした。
マディーナにて―ヒジュラ暦1427年サファル月3日
筆者:モハンマド バシール クルディー
前駐日サウジアラビア大使
(2007年11月20日更新)
(→バックナンバー)
(→週刊アラブマガジンのトップ)
|