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全ての論文には前書きがあり、全ての物語には始まりがあります。私はこれから皆さんにサウディ女性について紹介しますが、このテーマはアラビア半島の歴史を紹介せずに語ることはできません。そこで1400年前をこのお話のスタート地点とすることにします。
当時のアラブ人はアラビア半島で厳しい生活を送っていました。彼らを統制する政治システムも民事的システムも無かったのです。彼らの一般的な生活は、分裂と争いと攻防の上に成り立っていました。彼らは偶像を崇拝し、部族ごとにそれぞれの偶像を神として崇めていました。また彼らの間に広まっていたものといえば、飲酒と売春でした。アラブ人の持つ寛大さ、勇敢さ、客の歓待、約束の履行など優れた資質があったにもかかわらず、これらは当時蔓延していた悪習によって完全な善い資質とは成り得ませんでした。私がここで紹介したいことは、無明時代のアラブ人ではなく女性です。これから当時の女性に関する慣習と伝統の要約を紹介しましょう。
無明時代、女性は価値のない商品のようでした。二代目カリフのウマル ブン アルハッターブも「私たちは無明時代、アッラーが彼女たちに関する節を啓示するまで女性に何の価値も見出していなかった。」と言いました。当時の女性はその権利を踏みにじられ、卑下され、自分の意見を持つことは許されず、遺産相続の権利もありませんでした。人々は「剣を持ち、自分の部族を守ることができる者以外―つまり男性以外―は相続しない。」とよく言ったものでした。ですからもし人が死んだ場合にはその息子が、そしてもし息子がいない場合には親戚のうち、父・兄弟・叔父・伯父が相続していました。また殺人の報復に関しても、殺害されたのが女性だった場合には報復がなされることもなく、補償金も請求されませんでした。無明時代の女性は所有されることはあっても所有することはなく、夫には妻の許可なしに妻の財産を使用する権利がありました。また女性は時には売春を強制され、その収入はその女性の後見人が得ていました。結婚に関しても、後見人の一存で女性本人に相談することなく結婚が取り決められ、結納金は後見人が受け取り、女性には反論する権利はありませんでした。
そして当時の女性が遭遇した悪習の最たるものとして「女児の生き埋め」の習慣がありました。無明時代にアラブ人は男児に価値を見出し、女児を嫌いました。女児が生まれると、父は乳飲み子である彼女を連れ、砂を掘り、そこに自分の娘を生きたまま埋め、帰路につくのでした。この父の様子をアルクルアーンは生き生きとした描写でもって私たちに伝えています。
『かれらの1人に、女(児の出生)が知らされると、その顔は終日暗く、悲しみに沈む。かれが知らされたものが悪いために、(恥じて)人目を避ける。不真面目を忍んでそれをかかえているか、それとも土の中にそれを埋めるか(を思い惑う)。ああ、かれらの判断こそ災いである。』(ナフル章58−59節)
彼らは実際にこの悪習を実行しており、これは彼らが部族間の抗争と攻撃をおこなうために男児を欲していたこと、それから女児から発生する諸問題から逃れるため、また貧困を恐れるために行なわれました。
このようにアラビア半島において女性はある時期、何の価値もないものとして扱われた時代を生きてきました。この状況は、彼女が父のもとにおいても、夫のもとにおいても、兄弟のもとにおいても変わることはありませんでした。
ここで言えることは、すべての物事には始まりがあるということは、また終わりも必ずやって来るということです。女性が奴隷として扱われていた時代は終わらなければならず、女性の生活に朝の光が照らし、希望の光が見えなければならなかったのです。さて何の光がこの女性の厳しい生活を終わらせたのでしょうか? インシャーアッラー、話は次回に続きます。
筆者:ラシャー アルマンスーリー
アブドルアジーズ国王大学 生物化学元研究科 |
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