|
時が経つにつれ、ムスリム社会は正しいイスラームの理解から遠ざかりました。そのため、イスラームが女性に高い地位と尊厳を与えたにも関わらず、人々はイスラームが女性に与えた権利を忘れてしまいました。その証拠に歴史は、特にオスマントルコ時代の初期には社会における女性の役割は忘れられていました。歴史家たちは女性の役割を軽視し、ムスリムたちが預言者の生存中・正統カリフ時代・ウマイヤ朝・アッバース朝において明記したようには女性の役割を明記しませんでした。歴史家たちの関心は社会の関心と当時の社会の女性への見方を反映します。逆もまた然りです。近代の歴史家たちが女性の役割を多く記述しないということは、彼らの女性の役割に向ける関心の低さから来ているのです。
残念ながらこの「女性を蚊帳の外に置く」状態は西暦1932年(ヒジュラ暦1351年)に故アブドゥルアズィーズ国王がサウディアラビア王国を統一したサウディ建国初期にも見られました。当時のサウディ女性は無知にどっぷりとつかり、社会もまた女性には無関心な状態でした。またイスラームで与えられている女性の権利の多くも与えられていませんでした。当時このような女性にとって厳しい状況にあったにも関わらず、サウディ女性はアッラーへの強い信仰・強い意志と忍耐強さを持っていました。この内に秘めたる強さによってサウディ女性はその後、政治・経営・経済・社会という様々な分野で活躍できるようになったのです。
例えば聖地マッカの一部のサウディ女性たちは、ハッジにやって来た女性たちの道案内を行い、ハッジを行なう人たちに関する行政処理の一部を担っています。また巡礼者たちのための食事の用意をしたり、聖地の衛生管理を行なったり、必需品や宿泊施設の管理を行なっています。またハラムへの行き来の時間の管理をしています。
経済面に関して言えば、都市郊外に住む女性たちは、その仕事が女性にとって厳しい力仕事であるにもかかわらず男性たちとともに畑で働き、農作業などを行なっています。また砂漠の女性たちには重要な役割があります。テントやじゅうたんやハラジュ(らくだの背に乗せる鞍のようなもの)など多くの手工業品を作ることです。また海士(海に潜る男たち)の妻たちは、家族と地域社会のために夫とともに活躍しています。たとえば夫の収入が少ない場合には家事の外に地域の女性たちのために洋裁を行なったり、商売をしたり、家畜の世話をおこなったりして収入を得ています。また都市部の女性たちは家族の収入をふやすために刺繍や裁縫などの内職を行なっています。
また、サウディ女性たちは当時、高等教育を受ける権利を奪われていました。このような困難な状況にも関わらず、女性たちは自分たちを向上させるためのチャンスを見逃すことないようにその時を待っていました。サウディ女性たちの教育状況は次のような段階を経て発展していきました。まず、特定の女性あるいはグループの家で開かれた学習塾が出来ました。ここでは読み書きの基礎とアルクルアーンが女性たちに教育されました。この状況は西暦1943年(ヒジュラ暦1362年)マッカで女子学生に対する新しい学校制度が制定されるまで続きました。
今回紹介したようにサウディ女性は無知と自分たちに対する無関心と権利剥奪という状態にあった時期がありました。しかしながら、サウディアラビア王国が政治的安定期に入り、また油田開発により経済的にも安定期に入ると社会は女性の役割とその重要性を理解し始めました。その後急激に女性の地位は引き上げられ、イスラームの教えにのっとったものとなりました。
次回はどのようにサウディ女性の生活が変わったのか、またそれがどのように王国の未来を変える事になったのか紹介していきましょう。
筆者:ラシャー アルマンスーリー
アブドルアジーズ国王大学 生物化学元研究科 |
(→バックナンバー)
(→週刊アラブマガジンのトップ)
|