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私が初めて日本を訪れたのは2002年2月でした。この訪問は夫の仕事の関係で実現しました。滞在期間は1週間だけでしたが、この期間を私たちは名古屋と東京で過ごすことになりました。
私は飛行機が日本の地に近付いたときの興奮を忘れることができません。特に、最初に名古屋の街を目にした時、前もって日本の人口密度の高さについての知識はあったものの、実際は想像以上であったことに私の驚きは頂点に達していました。そして頭の中でこれまでの経験を寄せ集め、考え始めました。いったいどうしたらこれだけの狭い土地にこれだけの家と自動車と人々が存在し得るのか??? 本当にこれが私が読んだことのある規則正しい清潔な日本なのか??? 本当に地上にこのような場所が存在するのか??? 質問は次から次へと湧き上がりました。
当然のことながらこれは現実だったのですが、私の驚きは実際に自分の足で日本の街を歩き始め、さらに大きなものとなりました。あらゆる場所に規則と精密さは守られ、あらゆる場所が清潔だったのですから。本当に全ての場所が清潔で、その清潔さが公共トイレにまで及んでいることを知った時、初めて私が日本に関して読んだ知識が現実であり、本当のことなのだということがわかったのです。第一回目の日本訪問の機会はすぐに終わってしまいましたが、私は「どうやったらこのような状態になるのか?」という質問の答えはこの短期間では見つけることが出来ませんでした。しかしながら私は日本が自分の想像以上に美しく素晴らしい国だと確信し、祖国へ戻ったのでした。
この旅から帰国した数ヵ月後、夫に、勤務先から日本にある親会社への転勤の辞令が出されました。当然のことながら、私は夫の転勤についていかなければならなかったのですが、一抹の不安を抱えながらも(行き先がどこであれ、祖国を離れるということは簡単なことではありません)また日本に行くことが出来るのがとても楽しみになりました。
このようにして旅の準備を始めたのですが、私は日本での自分の生活の予想図を頭に描いていました。私は日本人が一部を除いては日本語以外話さないということを知っていました。ですから私は日本ではどんなことも自分で行なうことが出来ないだろう…おそらく一人で自分の家から出ることも出来ないだろうと予想していました。東京で暮らす1年は今までの疲れを癒すための休息の年となり、誰も知らない土地で、夫の不在中は家で一人で過すことになるでしょうから…サウディでは時間が足りなくて出来なかった自分の趣味に時間を費やそうと思っていました。このような考えをもって私は祖国を出発し、2002年7月東京に到着しました。
当時の自分が思い描いていた東京での生活を思い出すと笑いが止まりません。というのも日本到着後2ヵ月後には本格的に日本語の勉強を始め、また日本画のコースにも通い始めたからです。またその1ヵ月後には在日アラブ人の子どもたちのための学校で様々なクラスの子供たちに教えることになったのですから。このようにして私には空き時間が全く無くなり、趣味のための時間がないどころか、家に居ることさえほとんどなくなってしまったのです。職場での教師という立場、様々な芸術コースでの生徒という立場、家での妻という立場、また人々との付き合いと常に忙しい時間を過すことになってしまいました。そして東京に来てから数ヵ月後には様々な国籍をもつ友人たちが出来ました。特に3人のアラブ人女性たちとはとても仲良くなり、毎週金曜日の12時から夜7時までアルクルアーンを勉強し、その節を暗記し、残りの時間は様々な生活に関することを話し合うのでした。
こうして東京での日々は過ぎていきました。あと2ヶ月でこの生活も終わり、日本をあとにすると思っていた矢先、夫の勤務先が日本での勤務の1年間の延長を決定しました。さらに1年間の有益な時を過せる、今年出来なかったことが来年できるかもしれないと私はとても嬉しくなりました。この時、アラブ子弟のための学校は生徒が帰国してしまったため閉鎖されており、私は空いた時間を有効に使うために外の仕事を探すか、大学で学ぼうと考えていました。実際数週間後にはサウディ大使館の協力により、上智大学で行なわれている研究に参加することができました。大学のみなさんは私を快く迎え入れてくれ、私は今まで使用したことの無い最新器具による、行ったことのない様々な実験に参加することが出来、有意義な時間を過すことが出来ました。また、この期間中も私は日本画・その他の芸術コースに通い続けましたし、先に紹介したように友人たちとのアルクルアーン勉強会にも参加し続けました。そして最後に今みなさんがお読みになっているこの記事の執筆をアラブ イスラーム学院から頼まれたのです。私の体験談が少しでも皆さんのお役に立てること、あるいは楽しんでいただけることを願っています。
実は、私を知る多くの人々が「あなたは必要以上に活発すぎる」と言うのですが、私自身はそのようには全く考えませんし、それどころか時々自分は怠け者だと感じているくらいなのです。私はこの活発さの秘密は、私が関わってきた日本の皆さんにあると思います。私が今から書くことはお世辞でも何でもないのですが、皆さんに紹介したこれら全てのことを私が同時期に行なうことができたのは、ひとえにアッラーのおかげであり、また日本の皆さんの協力と理解によるものだと思っています。私は私の背中を押してくれる、親しみのこもった皆さんの微笑みに常に支えられてきたのです。また日本において外国人が感じるであろう困難や不便さを取り除くことに皆さんが協力してくださったことも原因に挙げることができるでしょう。私が怖がることなく一人で行動・移動できた、つまり安全であったということも挙げられると思います。付け加えて、日本の皆さんと私の間にある相違点の多さ――私が日本語をよく知らず、ムスリマ(イスラーム教徒)であり、またヒジャーブ(スカーフ)をしていた――にも関わらず、私に対して敬意をもって接し、私を受け入れてくださいました。時には公共の場で礼拝をしたこともありましたが、好奇の目を向けられたこともありませんでした。このようにして自分の望んだことを実現させることができたのでした。
日本と日本の皆さんの愛情と協力に対して感謝しすぎるということはないと思っています。
最後になりましたが、親愛なる夫のことを話さないわけにはいかないでしょう。彼は私が助けを必要とした時には私を見守り、傍らで私を支え力づけてくれていました。また私が望んだことを実現させるために常に励まし続けてくれました。
これらの文章によってサウディ女性も他の国の女性たちと同様に愛情と敬意に囲まれて暮らしていることがご理解いただけたでしょうか? サウディ女性の周りには彼女たちの向上に愛情と関心をもって協力する人々がいますし、また彼女たち自身、自分たちの目的実現と未来を建設する力を持っているのです。
この「アラブ女性」についての記事を読んでくださった皆さんと常に私にいろいろなことを教えつづけてくれた日本と日本の皆さんに感謝します。そしてもし自分の筆に至らないところがありましたらご容赦ください。
皆さんへの愛を込めて…
筆者:ラシャー アルマンスーリー
アブドルアジーズ国王大学 生物化学元研究科 |
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