アラブを見つめて
 

【探求の危機は続く(2)】


 人々の間にはびこり、彼らを支配している間違った信条により、人々は、その 行動の真実についての認識を持たないまま、幻や迷信やそれを広める者たちと結 びついてしまいます。

 以前のことですが、ある時、一人の女性が下肢の血栓(静脈瘤)を患いまし た。彼女は高学歴でちゃんとした教育を受けた女性だったのですが、自分の症状 を単にしびれにすぎないと判断し、3日間もそのまま病院に行かずに病状を放置 しました。
それは、人々の間で昔から言い伝えられてきたいい加減な医学や、体の変調に際 しての家庭内での単純な判断を反映するものでした。
 それはさておき、その後、彼女が病院に行くと、医師はさまざまな検査をし、 やがて足のその部位を切断しなければならない、と彼女に告げたのです。数日前 から足のその部位の血管が壊死してしまっていたのでした。

 切断手術が行われる前に、私は彼女のお見舞いに行きました。するとその病室 にはある東洋人の男性がいました。そこで私は他の3人の友人たちと共に、その 男性が立ち去るまで病室の外に控え、彼が立ち去ってから病室に入りました。
 私がその男性について尋ねると、彼女は、彼のように薬草治療を行う人々を信 じる友人が、治療のためにあの男性を連れてきたのだ、と言いました。そして彼 は、切断を避けるために薬草で作られた薬を自分に与えたのだ、と。これらすべ てのことが、病院内で行われたのです。彼女はそのことを医師に告げることなく その薬を飲み続け、手術を遅らせて、とうとう足のさらに上部から切断しなけれ ばならなくなりました。それでも、私がその男性の仲介者について尋ねた時、彼 女は一生懸命に男性を庇い、問題は彼を連れてくるのが遅れたことであって、も し自分があのまま家にいれば、彼の治療は正しく行われたのだ、と言ったので す。

 また、以前亡くなった知り合いの女性のことですが、彼女の家族は病院にシャ イフ(宗教の師や長老)を連れてきて、病院側に断りもなく、クルアーンの聖句 を彼女に向けて読誦させていたことがありました。彼らは、彼女が邪視の被害者 であり、それが病気の原因だと信じていて、昔から伝わる民族的な方法でしかそ れを治すことはできないのだ、と思い込んでいたのです。
 もちろん、魔術や邪視の存在は真実ではありますが、現実には、この世のすべ ての災難がそれらによって引き起こされるわけではないのです。

 また、ある女性は、魔術を恐れるあまり、東洋人のメイドが帰国の途につく時 に、彼女の鞄を5千リヤルで買い取り、メイドを手ぶらで旅立たせました。彼女 は、そのメイドが自分に関係する物(*髪の毛とか服とか櫛とか、彼女の身につ けたものなど)を鞄に入れて持って帰るのではないか、と恐れたのでした。
(*訳注:古代からアラブでは、誰かに魔術をかけて害しようとする時、その人 物が身につけたものや使ったもの、あるいはその人の髪の毛などを用いたため、 この女主人は、東洋人のメイドが何か自分に関係するものを持ち帰り、それを 使って自分に魔術を仕掛けるかもしれない、と恐れた。)

 そのような人々は、人生におけるいかなる成功も心配も、みな、人々の邪視な どに結びつけて考えているのです。

 我々の女性の世界ではこのようなこともあります。
たとえば、ある女性が女友達から、「マー・シャーアッラー!(*訳注1)あな た、とてもスタイルが良くなったわ。」と言われ、それ以来ずっと体に痛みを感 じ続けたので、再びその友人を呼び出し、ウドゥー(小浄)で身を浄めるよう求 めたことから(*訳注2)、対立してしまった、というようなケースがありまし た。
(*訳注1:「マー・シャーアッラー」という言葉は、直訳すると、「アッラー が望まれたこと」という意味で、人を誉めるときによく用いられる言葉。つま り、「アッラーこそが、あなたにその素晴らしいものを望まれたのですね。」と いうニュアンス。)
(*訳注2:彼女はその友達にほめられて以来体調を崩したため、その友達が自 分に妬みの邪視を向けて害したのだと思い、その妬みの念(邪気)をはらうために 浄めをするように求めたため、邪視を疑われた友達との間で争いとなったと思わ れる。)

 また、別の女性ですが、自分の幼い娘を前日実家に連れて行ったところ、その 後高熱を出したため、実家の姉妹たちにウドゥーをするように命じ、彼女たちが 全員きちんとウドゥーをするのをそばで立って監視した、というケースもありま す。2歳ぐらいの子供が熱を出すことなど珍しいことでも何でもないのに。

 あるいは、未婚の娘たちの中には、自分が結婚できないのは、親戚が自分に対 して魔術をかけているせいだと思い込む女性もいます。縁談があっても、さした る理由なく破談になるから、と。そして、このような悩み相談を持ちかけられる 者や、コーヒー占いをする者などは、みな、それは魔術をかけられているせいに 違いない、と言うのです。しかし、娘たちの方では、きちんとしたシャイフの許 へ相談に行くのを恐れるため(*訳注:イスラームでは占いは禁止されているか ら)、そのような問題は解決されないままになるのです。

 私たちは、無知や根拠のない考えによって引き起こされるさまざまな災難に晒 されています。そのさいたるは、自己の現実を他の者に委ね、頼ることのできな い相手に頼ることであり、自己の不幸の真の原因を追究することもなく、その責 任者を探し求めることなのです。彼らは、定命(*訳注:イスラーム信仰の6つ の柱の一つ)への認識や理知に背き、ないがしろにし、それらの前に立ち止まっ て熟慮しようとせず、また考えを組み立てる機会を自分自身に与えようとしない のです。

 このような状況は断罪されるべきであり、閉ざされた扉を打ち破り、それに抵 抗し、根拠のない考えの前で立ち止まって考えるべきなのです。しかしながら、 現在の状況は危機的です。それについて、ウスターズ・ザイヌッディーン・アッ =リカービーも、アル=ヤマーマ誌の中でこう書いています:
「これは、精神的、社会的、信条的、理知的、文明的危機であり、人々の頭は今 尚迷信の中に留まり、迷信が知性を侵しているのだということを告げているので す。」

 昔の人々には、長年の無学ゆえという弁明の余地があるのかもしれませんが、 現代人にはどんな弁明をもってしても、釈明の余地はありません。教育水準も充 分に高く、事象の法則や自然の摂理を証明する知識が存在する現代において、迷 信や幻は現状の弁明にはならないのです。

 私たちは豊富な知識に恵まれ、その光が世界を照らす時代に生きていますが、 それと同時に、人心が腐敗した信条で充満し、人間が精神的に破壊されている時 代にいます。そのため、私たちは「正しい信条の復興」を呼びかけるのです。人 間の心や頭を迷道の連鎖や醜悪な迷信から解放する真正なる信条へと。そしてそ の初めとして、物質的な発展が必ずしも心や精神の発展を意味するものではない ことを認めなければなりません。また、「正しい信条への復興」の基礎として、 私たちは、偉大なる聖クルアーンの条理は、至高なるアッラーの唯一性(タウ ヒード)なのだということを知らなければなりません。クルアーンは全人類への 神聖なるメッセージであるのですから、人類の問題はみな、クルアーンの条理に よって語られなければならないのです。そしてそれはタウヒードであり、それこ そ信条的危機への唯一の解決なのです。真実なるタウヒードと迷信とは、互いに 相容れない存在なのですから。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年2月27日更新)

                

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