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私たちの社会では多くの事柄が糾弾されており、また、多くの人々が非難され
ています。しかし、いかにして糾弾される者が糾弾する者に変われるというので
しょうか?
自らの言動に責任を感じることもなく、また、それがどれぐらい負の影響をも
たらすかということに関心を払うこともなく、私たちが毎日犯している過ちによ
り、人々の間の亀裂を深める社会矛盾が増えています。それは一体何故でしょう
か?
私たちが独自の認識や階級的感覚によって社会発展に抵抗し、その感覚の中に
留まり続け、個々の伝統的殻の中で保身を図るのをやめようとしない、という理
由で、私たちは糾弾されているのです。
私たちの社会には固有性(*訳注)があり、私たちが明確にその固有性によっ
て立ち、それによって抵抗し、それによって闘い、それによって自らを高位に置
き、その礎と価値観によって他者に対するために、私たちは糾弾されています。
私たちがサウジの固有性によって結束し、本能的にその固有性の中で集結するた
めに。
(*訳注:ここでいう固有性とは、つまり、サウジアラビアがイスラームの源流で
あり、聖地を守る管理者であるというイスラームの伝統継承国としての独自性を
指しているのではないかと思われます)
中には、かつてのどんな時代よりもより明確な印となっている私たちの固有性
ゆえに糾弾されることに対し、怒りを抱く人々もいます。
2〜3年前のことですが、私はある時、アラブの国の空港で、パスポートコン
トロールの列に並んでいました。国内ロビーへ入るため、私がパスポートに判を
押す職員に近づいた時、職員が、サウジアラビア人の若い娘とその連れの男に対
して、パスポートに添えて提出する用紙の項目は、アラビア語で書かなければな
らない旨を告げました。するとその娘はそれに対して高慢な様子で、「あなた、
読めないの?」と言ったのです。彼女の言葉のイントネーションから、私には、
彼女がサウジアラビア人だとすぐにわかりました。しかし、職員は感情を抑え、
見事な冷静さで、「アラビア語でなければならない。」と繰り返しました。娘の
連れの男はそれを聞いて―それは彼女の父親でした―職員の前に進み出て言った
のです。「娘は英国で学んだから英語で読み書きをするのだ。」と。
職員は父親の言葉を気に留めず―この父親は娘とともに、ただ自分たちの虚栄
だけのために私たちが並ぶその列を遅らせているのです―、彼らに2冊の緑色の
パスポートを返し、書き直して新しい用紙を提出するように言いました。しかし
娘はもう一度新たに書こうとはせず、その国の役人の無学さや英語を知らないこ
とに不満を表し、書き直しを拒んだのです。私は彼女の後ろに並びながら、その
光景と傲慢さに驚かされました。そして、彼らが何の罪もない外国の空港職員に
迷惑をかけ、それによって自分たちの内なるコンプレックスを解消していること
にも。
しかし、問題はこのような例がとても多いことであり、国内ではそれがより
はっきりと現れ、また国外ではそれがより多く現れるように見受けられることで
す。
このように、残念ながら、現実のサウジアラビアの固有性とはその服装や、
数ヶ月もの休暇中ずっとカフェテラスを貸切予約することによる虚栄を意味して
います。また、どれだけの期間の旅であろうとも、どんな目的の旅であろうと
も、旅先の国々まで自分の豪華な車を運びこみ、それによって虚栄心を満足させ
ることを意味しています。
現実のサウジアラビアの独自性とは、旅先の国々の人を高慢に見下すことで
す。自分たちの金で旅しているのだから、誰にも何も文句を言われることはな
い、と。
外国からの不満を高めないよう、また、自国の評判を高めようというような関
心を持つこともなしに。私たちの固有性とは、他のすべての社会は不完全で、ま
たわが国のように使命を負っているわけではなく、私たちだけが自分たちの価値
を守る固有の基礎を持ち、他者の間で特別に扱われるべき存在なのだ、と考えて
いることなのです。自分たちはすべてのことにおいて優秀であり、絶対的な判断
を持ち、どんなに重要なことでも、他者を気に留めることなく振舞うことができ
るのだ、と。
この国の威信はその国民の固有性によるのだ、という人々もいます。では、一
部の国民が祖国を崖下まで突き落とし、多くの責任から逃れ、重要度の低い事柄
にそのエネルギーをつぎ込むようになったのちに、表に現れなくなったその固有
性とはいったい何か、と問われたならば、何と答えればよいのでしょうか?
問いには問いで答えましょう。それでは、サウジアラビア人のような国民が、
他にもいるのでしょうか、と。
私たちは、この固有性(*訳注:「高慢さ」などの悪癖を指すと思われます)
のために、多くの代償を支払うことになるでしょう。その固有性の結末を案じ、
表現の自由への制限がもたらす騒動を恐れなければならないことによって。(*訳
注:国の名前を下げる行為は外圧や内圧をもたらし、「表現の自由の制限」とい
う形で国民に返ってくることを指しているのではないかと思われます)そして表
現の自由への制限は社会的空虚を呼び、それにより私たちは再び、衝突や意志粉
砕のとがで、社会全体を糾弾することになるのです。
筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家
(2007年4月24日更新)
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