アラブを見つめて
 

【冗長な日常生活】



 海外の翻訳物連続ドラマの鑑賞はわが国で既にだいぶ前に終わり、長い実生活 の連鎖が既にそれに取って代わったのだと、私は考えていました。

 6〜7年前には、多くの女性や娘たちが、100話にも及ぶ冗長なメキシコの 連続ドラマに理解できないほどの執着を持っていたのを、私はよく覚えていま す。そのドラマは、視聴者が1〜2ヶ月の間旅行をして戻ってきても、まだ依然 として色恋沙汰とか、私生児とか、実際には考えられないような人間関係などの 間を、ぐるぐると回っていたものです。

 あのドラマのファンは、物語を追いかけるために、多くの用事をキャンセル し、テレビの前に陣取って、私たちとは全く縁のない社会での珍妙な人間関係を 楽しんでいました。ドラマを観ている女性は自分も一緒になって涙を流し、怒 り、罵るのです。
 劇中の恋人同士の別離が彼女を泣かせ、家庭内の悪口や、姑や夫の支配、そし てそれゆえに他の愛人に逃げる女性、不法な妊娠……などの出来事が、彼女を怒 らせます。そして、幻の感情や男女の抱擁が彼女の胸を締め付けるのです。

 ドラマを追う女性たちは、思春期の娘であろうとそうでない女性であろうと、 みなストーリーを途中で投げ出したり、ヒーローたちを問題の中に置き去りにし たりすることはできません。彼女たちは登場人物たちと一緒に、何の進展もない 最初のページに喜んで留っているのです。彼女たちは、自分たちに全くかかわり のない冗長でくだらない会話を素晴らしい会話だと思っています。それは稚拙な シナリオによるもので、彼女たちに縁のない狭苦しいスタジオで撮影されたもの に過ぎないのに。何故なら、登場人物たちの感傷や、珍奇で時に禁じられた愛 は、夢やさまざまなものが入り混じった感情、そして現実とはかけ離れた享楽を 創り出してみせるからです。

 何年も前のことですが、私たちは休暇中、友人たちのグループと一緒にある国 に滞在していました。そしてそこでは、深夜1時か午後5時に連続ドラマが放送 されており、友人たちの何人かは、その時間にはドラマを見るために必ずホテル へ戻ったものです。その夜、主人公が恋人の許へ戻り、きっと彼らを別れさせた 本当の理由が明かされるから、と。その後20日間も私たちは滞在しましたが、 それでもその恋人は戻らず、私たちは国へ帰りました。そしてその後も恋人は戻 らず、苦しみは続き、最終回まで視聴者の女性たちは涙を流し続けたのです。や がて、私の友人の一人が、その主人公は恋人の許へやっと戻れ、犯罪者たちは刑 務所に入ったのだ、と嬉しげに語ったのでした。

 実際のところは、9月11日(*同時多発テロ)の事件を境に、あのようなド ラマの鑑賞は他の多くの事柄と一緒に姿を消し、既に過去のものになったのだ、 と私は考えていたのです。しかし現実には、私のある同僚が妹や母親と一緒に、 それらのドラマを再び観るようになっていたのです。彼女はそれらのドラマを長 年観ていなかったのですが、この頃再び観るようになり、それらのドラマはまた 彼女の感情を支配するようになりました。長く閉じ込められていた鳥に、空への 扉が開いたのです。

 それらの冗長なドラマは、私たちに多くの疑問を投げかけます。しかし、人に よって多様な認識があり、それを禁じることはできません。私たちが他者との対 話を確立しようとするのであれば、少なくともそれらの認識を軽視するべきでは ないのです。これらの連続ドラマから遠く離れたアラブ世界やその他特定の地域 では、実生活の多くの疑問に直面することから逃れています。幻に惹かれ、実際 には存在しない時代や人間関係に入り込み、毎日1時間を過ごすことは、自分た ちがこのようなものに何故逃げ込むのかということをも考えさせるものなので す。



筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年6月19日更新)

                

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