アラブを見つめて
 

【よじ登ろうとする人々】



 人間の様相は、社会システムの変化に伴い、また、人々のギブ・アンド・テイ クの嗜好に伴って変わってきました。人の階層はそれぞれ違っても、アッラーの ご満足のためにする助けや援助は稀になってきました。

 お返しを期待する支援やサービス―「私を支持して助けて下さい。そうすれば 私もあなたにそうします。」といったシステム―は、人々の個人的関係の中にお いても、また、大きな社会単位でも、慣わしのようになりました。

 たとえ、この「お返し」が今日明日というものでなくても、期待する側は将来 まで計算に入れています。土曜に何かを提供した者は、日曜に何かを見出すはず だ、と。

 しかし時には、「土曜(※援助や提供を差し出す側)」のみが存在し、「日曜 (※お返しをする側)」の方にはまた別のさまざまなニーズがあり、自分が昨日 受け取ったものを思い出すどころか、明日何を受け取るか、誰が自分に提供して くれるのか、どうすればそれにありつけるのか……ということばかり求める人々 もいるのです。

 何かの目的に到達するために他者を求めることは、多くの人々の一つのシステ ムとなり、支援やサービスを提供する人にたどり着くことを考えることは、生活 に不可欠な要素の一つとなりました。しかし、その「お返し」を求められる人々 が、たとえその一部の益によってでも報いる力を持たないケースもあります。

 このような人々は、元来、いつも受け取ることばかりに慣れ、与えようとはし ない人々です。たとえ自分にその力があったとしても。自分は受け取る側であ り、自分の持つものは自分のものだ、として。

 サービスや援助を受けることにおいてのこの欲深さは、相手がそれを禁じた り、彼らが求めるものを差し出すのを躊躇ったり、処々の事情でそれに応じな かった場合、大きな怒りをもたらします。いえ、それどころか、相手に圧力をか ける場合さえあります。

 このような者たちは社会の病気です。彼らは自分たちがしなければならない返 礼は決してしないまま、本来自分のものではないものを求めます。誰の生活で も、生活というものには様々な問題に満ちているのだということを、彼らは考え ません。

 問題は、このような者たちが、個人であれ集団であれ、他者を戦利品のように 考えて扱い、差し迫った必要に迫られているわけでもないのに、自分の周りの者 すべてにさまざまな事物を要求することです。

 それは、現代の社会的混迷を反映しており、一つの荒廃の始まりです。そして その荒廃は、差し迫った必要を抱えているのに真の助けを求める力が弱い人々 を、締め出してしまっているのです。正義が実現されることなく。

 そのような人々は、真に助けを必要としているにも拘らず、自分たちの求める ものへと進み出ることができません。本当は助けを必要としていない者たちがそ の人々を退け、道をふさいでしまっているからです。

 偽の困窮者たちは、時に貧困を訴え、またある時には病を訴え、虚偽の主張を 並べます。自分たちには助けを受ける権利があるのだ、と。彼らはその業に関し てとても巧妙で、真に助けを受ける正当な権利を持つ人々や、沈黙してしまい、 求めることに恥じらいを感じてしまう人々や、助けを求めるために人と競いたく ないと思う人々よりも、遥かに大きな声で自己の主張を訴えます。

 そのため、どんな不法な手段でも使う者たちが、援助やサービスを勝ち得てし まうのです。

 私たちは、社会的な変化の前に立っています。そしてその変化を止められない ばかりか、それは更に深刻な広がりを持っています。

 私たちには、目に見える援助の中で、また、上へよじ登りたいという強引な欲 求を持つ者たちの望みを計算に入れない取り組みによる議論が必要なのです。そ のような者たちの周りで起こるであろう騒ぎを恐れることなく、また、そのため に起こるかもしれない多くの問題について考えこむことなく。

 私たちは、現実に起きている事柄について、もっとよく理解しなければなりま せん。

 そして、援助やサービスを受けるチャンスをものにするために手段を選ばない 者たちと、彼らが、真の能力や正しさや権利を持つ人々を犠牲にして立てる計略 やその実行を、決して赦してはならないのです。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年9月11日更新)

                

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