アラブを見つめて
 

【責任を溜め込む人々】



 ジェッダの多くの通りでは、アフリカ人の女性たちがその背中には赤ん坊を背 負い、ゴミ袋や通りに投棄された廃棄物を満載した押し車を引きずって歩く姿 が、ごく日常的な光景の一つになりました。そのような女性が歩道に佇んで向か い側の通りに渡ろうと、車列が行き過ぎるのをじっと待っている姿に、誰一人振 り向きもせず、問いかけもしないでいる光景は、胸を打ちます。

 もしもあなたが彼女と同じ方向に向かっているか、あるいは同じ通りを歩いて いたなら、あなたは、彼女がゴミ籠を探してあたりを見回し、その中に頭を突っ 込んで、箱やら缶やらといった彼女が適当だと考える家庭ゴミを探しているとこ ろを見かけることでしょう。

 通りを行き過ぎる時、人々はみな、このような女性のことを疑問に思うことで しょう。果たして彼女は法的な滞在許可を得ているのだろうか、と。しかし残念 ながら、彼女たちの大部分はそのような許可を持ってはいません。

 それにもかかわらず、彼女たちは何故か確信的な様子で堂々と町の通りを歩き 回り、いつでも自分のその特別な仕事に精を出しているのです。夜中であろう が、明け方であろうが、昼であろうが、彼女たちにはどの時間帯も仕事に適当な のであり、開かれているのです。

 人々は、「私に何の関係があるのか」という感覚で、彼女たちに無関心であ り、また警察やパトロールの警備員なども、「どうして私だけが特に彼女たちの 問題を取り上げなければならないのか」といった気持ちで、無為に通り過ぎてい きます。

 誰もこのようなアフリカ人女性たちの保健問題における「時限爆弾」につい て、問いかけたりはしないのです。彼女たちはゴミ箱の中に頭を突っ込んでゴミ をかき回して毎日過ごしているというのに。彼女たちがゴミを分けたり集めたり する間に晒されている危険について、誰も問いかけたりしないなんて?!

 実際、家族や社会のための国際保健機構の多くが、彼女たちのような人々と、 いわゆるストリートチルドレンが、その日常的なゴミあさりによって、最も多く エイズに感染しているという事実を提示しています。また、彼女たちの集めるゴ ミの中には医療廃棄物も含まれており、知らないうちに病気に犯されることもあ ります。

 ゴミの山の中に、生きることと食べることを求めて歩くこのような女性たち は、免疫不全症候群(エイズ‐HIVウィルスによる病気)の意味さえ知らず、将 来災難が降りかかるとも考えることなく、その仕事を続けているのです。

 このような点から、彼女たちを追跡調査するにあたり、保健・環境団体の役割 はとても重要です。彼女たちが活動しているこの社会を守るべく、そして、感染 病の広がりを阻止するべく。

 そのために、保健・環境団体は、各地域‐特にそのような女性が多く住む地 域‐の村落・地方問題省と協力し、彼女たちのゴミあさりを止めさせ、ごみ収集 の職員は毎日朝にしかゴミを集めにこないものだという概念を捨て、日に何度も ゴミ籠の清浄をするようにしなければなりません。

 また、保健省と協力し、各地域で清潔の概念を広めることで環境保護に努め、 私たちの間に起こり得る災難を回避する最善の方策にたどり着くために、地域で 保健週間や環境週間などを設定するべきなのです。

 また、それらの方策がなされたとしても、私たちの多くが自分に関係あるこ と、あるいは自分の近親者や自分に利益をもたらす者に関する事柄以外には、関 心を持たないということこそが問題なのです。

 その他大勢の他人と自分や周りの人々と野間に何の関係があるのか、その他大 勢の他人が倒れようが死のうが私たちと何のかかわりがあるというのか、彼らの 問題に自分たちは関心がないのだ……、といった感覚は大いに問題です。

 たとえば、石が当たって彼らの頭からは血が流れているけれど、その石はもと もと地面にあったものなのだから自分たちに関係のないことだ、と考えたとして も、私たちは大切なことを忘れているのです。

 その石は私たちの住む大地にあったものであり、その血はこの大地の爆発の誘 因となるのだ、ということを。その大地は、私たちが暮らす通りの近くにあり、 また私たちの家や仕事場の前にあるのです。

 私たちは、通りを清潔に保つように心がけ、それを他の人々にも呼びかけるべ きであり、責任の一端を感じながらもそれを行動に移さずに溜め込んでいること を、もう止めなければなりません。

 国家の保護の中でも、国家の保護から離れたところであっても、私たちはみ な、現実に起こっていることの責任者なのです。国民の感覚や責任感は、問題へ の対策や手段によって形成されなければなりません。

 私たちは、環境を守るために可能な対策を探す中で、環境保護への感覚を持 ち、少なくとも感染病やそれに類する病気を遠ざける中で、保健への感覚を持た なければなりません。

 先の女性たちは、たとえスラム街や裏町の狭い路地奥に集中して住んでいると しても、物乞いすることによって、また、暮らしの苦労を背負って通りを歩き回 ることによって、多くの人と交わりながら生きています。

 私たちが今尚、解決を探すことなく、いえ、自分にも社会の一員として少しは 責任があるのだと考えることさえなく、眺めているだけの苦労を背負いながら。

 人は、改善への意欲がなければ責任など感じないものですし、また、自分の利 益の枠外にある現実や、自分に利することのない無関係な現実に対して何も感じ ることがなければ、責任を感じることもありません。災難はあくまでも自分では なく他人に降りかかるのだと考え、自分のことだけを一生懸命考えている限りに おいては。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2008年1月15日更新)

                

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