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沈黙を呼ぶような周りの大人たちからのコントロールに接することにより、不
安定で他者と交流するために充分な勇気に欠けている子供たちが多く見受けられ
るようです。
そのような子供たちはいつも戸惑いを感じており、特に、自分が何かを求めた
り、何かについて話したり、ある特定の考えや、両親や先生と異なる意見を説明
したりする場合において、その戸惑いは大きく現れます。
彼らは出口や自分が進む道を探していて、それによって自分の考えや求めるこ
とを表現したいと思っているのですが、現実には、自分が話をするための道は狭
いものに過ぎないからです。子供の教育問題に関心あるすべての人々が、このよ
うな子供の姿を把握していますし、大人が気付かなかった子供たちの問題に扉を
開けた多くの研究も、そのことを確証しています。
最近では、数日前にリヤド新聞が、女子大学講師ミルファト・ジューダ女史の
記事を紹介しました。彼女の説明によれば、家庭内で開かれた対話がなされてい
ないため、子供は家族の中で孤独を感じている、といいます。
限定された形ではなく、生活のすべての事柄について話し合うオープンな対話
が本来の対話といえるものであり、それによってこそ、息子や娘は、自分の問題
は家族全体の問題であり、自分の関心や夢は、家族全員の関心事であるのだ、と
感じることができるからです。自分は、家族の満足のためだけに勉強やスポーツ
での優秀さを競う競走馬では決してないのだ、と。
ミルファト女史はこのように書いています。
「私は子供の親たちに呼びかけたいと思います。
『あなた方の子供たちを人形のように扱うのは止めなさい。子供たちの望みや夢
に関心を払わず、自分たちが夢見るとおりに、自分たちの望みを実現させようと
子供たちを形成するのは、もう止めなさい。』と。」
女史が投げかけた言葉は、よく繰り返されるこの問いを投げかけています。
<何故私たちは、私たちが望むことを子供に望むのか? 子ども自身が望むこと
ではなくて?>
子供の本来の役割は勉強することであり、頑張ることであり、学校へ行き、試
験に受かり、良い成績を取ることである、と、私たちは何故感じているのでしょ
うか?
そのために必要な援助を行いながらも、物質的な援助にばかり目を向け、精神
的、人間的な援助に目を向けないままに。
家族は、自分たちが子供たちの勉強の第1の責任者であり、また、子供たちを
通して家族の望みを実現するための責任者でもあると考えています。そのため、
子供が対話や討論を求めたり、自らの話や考えによって、明確に自分の求めるも
のを探し始めたりすると、家族は自分たちの望みが実現されなくなるのではない
か、と不安になります。
そのため、子供がそのようなそぶりを見せると家族は怒り出し、彼らが定めら
れた線を越え、描かれた暮らしに反抗し始めたのではないか、と恐れるのです。
家族は、対話や討論によって、子供が子供の領域を越えるべきではないと考え
ているため、対話を求め始めると、子供が自分に属さないことに口を挟むように
なったのだ、と感じます。そのため、子供が枠からはみ出てしまったのだ、と訴
えるのです。それは、家族や学校が作った枠なのですが。
私はある女性の教師を知っていますが、彼女は自分が教えているある女学生に
ついて不平を言い、彼女はしゃべりすぎで、関係のないことに口を挟みすぎる、
と苦情を言いました。そこで私が、一体その女学生が何をしたのか、と訊ねる
と、彼女はこう言いました。
<その女学生はとにかく質問が多く、対話を好み、とても賢くて、いつも教師た
ちの時間を取りたがる。そのため、授業時間を邪魔してしまうのだけれど、独特
で鋭い考えを持ち、彼女には輝かしい将来が予想される。しかしながら、彼女の
母親は、その子はとてもよく話し、対話や哲学を好み、その歳の女の子たちが通
常持っている恐れや沈黙を持たないのだ、と言っている。>
私はその女性教師に取り立てて何も言いませんでした。なぜなら、私は彼女が
考える生徒と教師の関係をよく知っているからです。彼女は教室の中で生徒たち
に距離を感じさせ、対話をしないことで、教師と生徒との距離を広げているので
す。
家庭内で子供たちとの対話がないという現実は、今日私たちが直面している、
子供たちの反抗や、言葉使いの危うさ、他者の問題への無頓着、社会問題への無
関心、そして、家族を離れたところでも、友人たちとも対話を省こうとする現象
などを生んでいます。彼らは、自分の家族が自分や自分の問題を理解してくれて
いるとは感じていないのです。
これらの現象を鑑み、私たちは、家庭内で家族が子供たちと対話をし、彼らを
抱きしめ、彼らの不安や問題を一緒に考えてほしいと願っています。それがたと
え私たち大人の目にはつまらないことであっても、彼らにとっては火急の問題で
あり、重要かつ現実的な問題なのですから。
筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家
(2008年3月11日更新)
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