アラブを見つめて
 

【アリー・ハムード・アッ=サリーウ】



 私たちは今、腐敗に満ちた時代に生きています。そしてテロリズムの時代、 フィトナ(*悪意を持って分裂や騒乱を引き起こすこと)の時代、人や事件の悪 い例ばかりが取り上げられるような時代に生きています。ですから、光り輝く事 例を探し、この時代の恐ろしい暗黒を消し去るために、私たちは周りを見渡さな ければならないのです。

 どこにも喜びをもたらすような光り輝く事例など見当たらないし、あるのは、 恐ろしい現実の延長にすぎない、と考える悲観的な人もいます。しかし、どこに でもそのような美しい事例は存在するのだけれど、それらは隅に追いやられて表 に現れず、また探し求められもしないため、そのような事例を表に出して人々に 紹介する人が必要であるし、それから、それを話としてまとめる人も必要なの だ、と考える人もいます。

 今は、まず人間として国民のアイデンティティーを映し出す良い事例と、この 地に属し、この地の本質を持つ人の良い見本が、より必要な時代のようです。英 雄的な事例が姿を消し、高い人間性や他人のために何かを恐れる姿が見られなく なったこの物質的な時代には、たとえそれらが真実の話であったとしても、昔話 のように見えるのかもしれませんが。

 私たちは、新聞や、テレビ、インターネット、町の壁紙、掲示板など、あらゆ る場所に、人間的な、あるいは英雄的な美しい事例を示す必要があります。私た ちに色々な物語を語ってくれた祖母たちのようにこう語りかけて:

「かつてジャーザーン地方に、アリー・ハムード・アッ=サリーウという名の若 者がいました。彼はタブーク北西部のイシャーラ(*軍の伝達部)の一員で、監 視員として働いていました。

アリーは幼い頃、殉教者で英雄であるホセイン・ファキーヒーが生まれたジャー ザーンで暮らしていました。ホセイン・ファキーヒーは全身全霊を注いで、「ワ シュムの悲劇」に立ち向かった人でした。(*訳注:2004年の4月に、リヤ ドにあるアル=ワシュムという地域の交通警察署の建物がテロリストによって爆 破され、6人が死亡、148人が負傷した事件)

アリーはその後タブークへ移り、同地で働き、結婚して5人の子供に恵まれまし た。彼はその高い徳ゆえに慎み深く、清い暮らしをしました。アッラーを畏れ、 他の人々を助け、自分より他の人々を優先し、すべての人に優しく、貧しい人を 思いやり、人々と接するにあたってアッラーを畏れた人でした。

アリーの友人、モハンマド・アル=ハーズィミーによれば、アリーは、モハンマ ドが彼の許で働く工員を罵ると、その工員に謝るように言い、弱者を攻撃するこ とは赦されることではない、と言ったそうです。

アリーは勇敢な人で、強い心を持ち、他人を助けるためにいつも一生懸命尽力 し、決してその返礼を受け取らない人でした。人々にも、自分の5人の子供たち にも、妻にも愛情深く、いつでも子供たちと一緒に遊び、彼らと一緒に勉強し、 彼らに、努力することや礼拝すること、他人を世話することを奨励しました。」

 そこで子供はおばあさんにこう訊ねるのです:

「おばあさん、このアリーという人の話の、どこが変わったところなの?」

 するとおばあさんはこう言います:

「アリーは温かな顔をしていて、みんなに優しく、彼の心の中には本当の人間が いたのよ。」

 そしてすこしだけ黙り、こう続けます:

「ある晩のこと、アリーは息子を勉強のためにある親戚のうちへ送り届けまし た。それからマグリブ(夕暮れ時)の前には息子を迎えに行き、家へ連れて帰り ました。そしてお風呂に入り、妻のウンム・モハンマドが入れてくれた紅茶を飲 んでから出かけました。『たぶん帰りは遅くなるだろうよ。』と言って。

外出先から家への帰りに、アリーは家族にパンを買って帰ろうと思ってある店に 立ち寄りました。そして手にパンを持って店を出て車に向かおうとすると、タ ブークのある地域にあるガソリンスタンドで燃料を積んだトラックが燃えている のを見つけました。その時アリーは、そこを通りかかった他の人たちのように戸 惑ったり、逃げたりしないで、すぐにそのトラックに飛び乗りました。そのト ラックの外国人運転手は逃げてしまっていたのです。

アリーは、稀にみる勇敢さで、住宅地の外へ向かってものすごいスピードでト ラックを運転しました。アル=ハサーティーン地区を大惨事から救おうとして。 しかし、運転して大勢の人が住む地域の外へとトラックを運び出した後で、ア リー自身は亡くなってしまったのでした。」

 そして、おばあさんは悲しみから大きなため息をつきながら、こう繰り返すの です。

「アリー・アッ=サリーウはその地区のすべての人々を救って、そして殉教者と なって死にました。彼の葬儀には何千人もの人々が彼の遺体に連れ添って歩きま した。

その中にはみなさまざまな国から来た外国人もたくさんいました。政府は、彼が 殉教した通りに彼の名前をつけ、『アリー・ハムード・アッ=サリーウ通り』と 命名しました。そしてアリーの名はずっと生き続けたのです。家族はその報奨を 受け、彼の名はすべての人々の口にのぼるようになりました。

アリーの子供たちはみな、お父さんの勇敢な行いを誇りに思って暮らしました。 彼らは英雄の子供たちになったのです。彼らのお父さんは、多くの人々の命を救 い、人々にずっと生きていってほしいと思い、自分の命を引き換えにしたのです から。」

 すると子供はこう言うのです。

「ねえ、おばあさん、そのアリーという人は私たちの国の人なの? どうしてそ の人のことをテレビや新聞で見かけないの? どうして学校で先生はその人のこ とを教えてくれないの?」

 おばあさんはその問いの意味を悟ります。そして、彼は確かにこの国の人で、 最善の国民の一人なのだ、テレビは彼について以前に話したのだ、と言います。

 しかし、この美しく勇敢な例をもっと広く伝えなければなりません。そして彼 の名をジャーザーンに打ち立て、彼の妻や子供たちがジャーザーンの身内たちと 一緒にそこでもう一度住めるようにするべきなのです。通りにも地域にも彼の名 をつけて。

 また、意味のない物語や、決して英雄的な行いをもたらさないような話、作り 話、時代の出来事に即さないテーマなどを多く載せている子供用の読本に、彼の 話を載せるべきです。私たちは、物語を真実の話に変え、私たちと共に暮らすご く普通の人々の中で、人に知られていない優れた人々や真の英雄たちの名を、そ の高い徳によって知らしめる必要があります。

 しかしながら私たちは、気高く人間的で物事に立ち向かう生き方や、アッラー への畏れ、他人を思って助け、他人の危機には支えようとする心の現れとして、 瞬時に噴き出すそのような場面やそのような人々の英雄的な行為を、知ることが できないでいるのです。

 私たちは、美徳が壊れ、アイデンティティーも失われ、私たちの独自性も失く しつつあるこの時代でも、私たちの中にはまだ英雄がいるのだということを確証 するために、アリー・アッ=サリーウのような事例の紹介が必要です。

 今現実に起きていることへ危機的な意識を持つために、このような英雄たちの 事例を特に取り上げ、その栄誉を讃え、繰り返し示し、人々の見本となるよう に、本人とその家族にその英雄的な行為に値する大きな名誉や褒賞を与えること から始めなければなりません。

 しかし、知られていることの少なさと知られていないことの多さにより、この 殉教した英雄の姿は、すべての事例の外に追いやられてきました。しかし彼の姿 は真に英雄的で素晴らしく、私たちが長い間探し求めていたものなのです。今こ そ私たちは、その素晴らしい例に大きな栄誉を与え続けていかなければなりませ ん。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2008年4月8日更新)

                

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