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ハディースの理解とそれが導くこと |
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1 ムスリムたちは一つの体のようなもの
ムスリム社会の一員は一つの体を構成する部位のようなものです。つまりムスリム一人一人が他の者たちの気持ちを感じ、彼らの喜びをともに喜び、彼らの悲しみをともに悲しみ、気持ちを共有します。
預言者ムハンマドは言いました。「信者たちは彼らの相互愛・慈悲深さ・感情の共有において一つの体のようである。もしある一部分が痛みを訴えれば体のすべての部位が不眠と高熱や痛みを訴えるのである。」
ムスリムの同胞に対するもっとも重要な義務の一つに、同胞に心配事があれば、そこから救い、心配事を取り除くことが挙げられます。
2 現世における心配事は数多くあり、そこから抜け出す方法もさまざまである
人生とは疲労や困難に満ち溢れています。ムスリムたちも心配事や心を苦しめることに陥ることが多く、他のムスリムたちにはそのような状態に陥ったムスリムをそこから救い出すことが義務付けられます。
- 同胞を不正や抑圧から救うこと。
ムスリムが同胞を不当に扱わないことは重要なことですが自分以外の者によって与えられる不正や抑圧から同胞を救う努力をしないことにはアッラーからのより良い満足を得ることにはなりません。
預言者は次のように言いました。「ムスリムはムスリムの兄弟である。相手を不当に扱わず彼を見捨てることもない。」
預言者は言いました。「不正を行う、あるいは不当に扱われているあなたの同胞を助けなさい。」するとある男が言いました。「もしその者が不当に扱われていたら私は彼を助けますが、もし私が不正を行っている者を見た時どのように彼を助けるのですか?」預言者は言いました。「彼をその不正から遠ざけなさい。それが彼を助けるということです。」
特に不当に扱われている理由が彼の宗教(イスラーム)や宗教熱心さからくるもので、不信仰者たちや罪深いものたちによってそのような扱いを受けている場合には同胞を助けなければなりません。
至高のアッラーはアルアンファール章72節で仰せられました。『…ただし、かれらがもし宗教(上のこと)であなたがたに救援を求めるならば、あなたがたと盟約のある間柄の民に逆らわない限り、これを助けるのはあなたがたの義務である…』
またムスリムを助けることは彼が物質的な不正にあっている場合、精神的な不正にあっている場合、彼の生命・財産・名誉に関してあっている場合いずれにしてもムスリムの義務となっています。
- 捕虜からの解放
ムスリムが捕虜として敵に捕らえられている場合、彼を解放しようとすることが義務となります。というのも捕虜でいることによって彼の信仰心に害が出てくる場合があるからです。
預言者は言いました。「空腹な者に食事を施し、病人を見舞い、捕虜を解放しなさい。」
- 必要であれば財産を貸すこと
ムスリムが経済的に困難に陥り、飲食物・住居・治療など必要最低限のものに対する金銭を必要とした場合ムスリムたちは彼を助けることが望まれ、少なくとも気前よくお金を貸してあげるべきです。このことは利子などが利用されている社会の者たちがよく行う自分の財産を増やすこと以上に重要なことです。
アルムッザンミル章20節『…礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、アッラーに立派な貸し付け(信仰のための散財)をしなさい…』
アルバカラ章245節『アッラーによい貸付をする者は、誰であるのか。かれはそれを倍加され、また数倍にもなされるではないか…』
また1ディルハムを2回貸し付けたムスリムは1ディルハムをサダカしたようなものであるといわれています。
また、時として、財産を貸し付けた者の報奨の方がサダカをした者の報奨より勝る場合もあります。(貸し付けた者、サダカした者の状況による)
3 審判の日の心配とその解消
審判の日の心配事とその日の恐怖はムスリムにとってもっとも厳しいものです。その時にムスリムはその恐怖から自分を救う現世で行った善行をもっとも必要とします。審判の日にムスリムは本当にアッラーが公正なお方であるということを知るのです。このハディースの本文にもあるように現世でムスリム同胞の心配事を拭った者はアッラーが審判の日の恐怖から彼を救ってくださるのです。
アーイシャの伝承によると…
アッラーのみ使いは、「復活の日、人々は、裸足で裸身、割礼を受けてない状態で集合させられる」といわれた。私は、この時み使いに「その日、男も女も一緒にされ、お互いをみることができるのですか」ときいた。み使いは、「アーイシャよ、この時、お互いをみることは大変困難であろう」といわれた。
4 借金返済に困っている者への援助
このような者たちへの援助は二つの方法によります。
- 借金をした者の経済状況がよくなるまで待つ。これは義務です。
アルバカラ章280節『また債務者がもし窮境にあるならば、そのめどのつくまで待て…』
- 借金の全額、あるいは一部を帳消しにする。あるいは他の者が借金をした者のかわりに借金を支払う。これはマンドゥーブ(スンナ)です。
アルバカラ章280節『…もしあなたがたが分っているならば、(帳消しにして)喜捨することがあなたがたのために最も良い。』
また、預言者ムハンマはその伝承の中で借金返済に困っている者を助けたり、変わりに借金を払うことを奨励し、それによって審判の日にアッラーが彼を救うだろうということを伝えています。そして来世だけでなく、現世においてもアッラーがこの善行に対する報奨を与えてくださると伝えています。
アハマドの伝承によると預言者ムハンマドは言いました。「ドゥアーに答えてもらいたい者、そして心配事を取り払ってほしい者は借金返済に困っている者を助けなさい。」
5 至高のアッラーこそもっとも簡単にするお方である。
人間は財産や子供たちが何の役にも立たないその日(審判の日)にアッラーの前にたたされることを逃れることは出来ません。
アルフルカーン章(26節)『その日、真の大権は、慈悲深き御方に属する。不信者にとっては、多難の日である。』
アルムッダッスィル章(8−10節)『ラッパが吹かれる時、その日は苦難の日。不信者たちにとり、安らぎのない(日である)。』
審判の日が、アッラーの恵みを否定し、アッラーを崇拝せず彼に感謝もしなかった者に対し、そしてアッラーの創造されたものを援助せずそれらに対して善行を行わなかった者に対し苦難の日であることは疑いありません。それに対し、アッラーを信じ、彼を崇拝しアッラーの恵みとかれの奇跡(しるし)をアッラーに感謝した者、そしてアッラーからの恩恵を認め、人々を助けた者にはアッラーが彼らの善行に対して報い彼らの過ちを見逃し(許し)その日を容易い日とするのです。
預言者ムハンマドは言いました。「ある男が人々に財産を貸していた。そしてかれは息子に次のように言っていた。――もしあなたのもとに借金返済に苦しむ者がやってきたら彼を許してあげなさい。おそらくアッラーは私たちを見逃してくださるだろう。――そしてアッラーに見まえアッラーは彼を見逃した(許した)。」
6 至高のアッラーによる陰
預言者ムハンマドは言いました。「アッラーのために戦うムジャーヒド、借金返済に苦しむ者、自分を解放するために主人に支払いを行う奴隷を助けた者を、アッラーはアッラーによる陰のほかには陰がない日に覆ってくださる。」
7 服従における素晴らしい例
この例は私たち以前の者たちによく見られました。預言者の使徒の教友たちはこの服従における素晴らしい例の体現者でした。
『本当の信者たちは、裁きのため、アッラーと使徒に呼び出されると、「畏まりました。従います。」と言う。本当に、そのような人々こそ栄える者である。』(アンヌール章51節)
カアブ ビン マーリク(アッラーよ彼を嘉したまえ)はモスクの中で彼が貸した金額をイブン アビー ハドゥラドに要求した。すると彼らの声が高くなり、ついにアッラーの使徒(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)が家に居ながら彼らの声を聞くほどになった。そこで預言者は彼らのもとへ出て行き、部屋のカーテンを捲り、呼んだ。「カアブよ。」カアブは「アッラーの使徒よ、私はここにいます。」と言った。預言者は「あなたが貸した金額からこれだけ置きなさい。」と言い、それが半分であることを示しました。カアブは言いました。「アッラーの使徒よ、それを私は行いました。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)
つまりカアブは預言者に命じられた後、直ぐに命令どおりのことを実行したのでした。サハーバたちは模範的行動やより正しい人格を身に付けるために、あるいは善行を行うために合図以外のことを必要としませんでした。預言者は彼らを説得するために多くの言葉を費やす必要が無かったのです。
8 ムスリムを隠すこと
ムスリムを隠すことが奨励され、人々の間でそれを暴露するためにあるムスリムの恥の部分や過ちを追求することを警戒するハディースは多く伝わっています。この36の伝承もその一つです。
それどころか、ムスリムたちの恥とするところを追求することは偽信仰の印です。
9 不服従に陥った者の隠蔽
ムスリムがムスリムの過ちを見てしまった時、それを隠すべきかそれを公言するべきかどうか、それは人々の行為の違いによって変ってきます。
- 人々に状態が知られていない者:つまり一般に人々の間にその者の不服従が知られていない場合です。このような場合にその者が過ちを犯してしまったときにはそれを隠すことが義務となり、彼の状況を暴いたり、彼が陥ったことを話したりしてはなりません。
『信仰する者の間にこの醜聞が広まることを喜ぶ者は、現世でも来世でも、痛ましい懲罰を受けよう。あなたがたは知らないがアッラーは知っておられる。』(アンヌール章19節)
これは善を命じず、悪を禁じないということではありません。
- 不服従で有名な者、人々の間でそれを公言する者:このような者は罪深い人です。ですから彼の状態を人々に知らせることが望ましい、あるいは義務となります。これはその情報を得ることによって彼の悪を警戒し、避けることが可能になるからです。そしてその者が人々の忠告を聞かず更に不正を行うようであれば彼らはこの者のことを支配者に告げイスラーム法における罰を施行してもらわねばなりません。なぜなら彼の行いを隠すことは同様の者を増徴させ、地上に悪が蔓延る原因となるからです。
10 支配者に事を告げること
ムスリムはもし過ちを犯してしまった場合自分自身の胸にそれを秘め、自分と至高の主との間で悔悟することが望ましいとされています。
もしその者が自分の悔悟を公言し、支配者にそれを告げ、犯した過ちに関して詳細を明らかにしなかった場合、支配者は詳細の説明を求めないことが好ましいとされています。それどころかその者に自分の罪を胸に秘めておくよう命じます。
11 罪を行おうとしている者を見かけたら
罪を行おうとしている者を見かけたらそれを隠したり見過ごすことはゆるされません。自分自身でそれを阻止することができるのであれば阻止し、できないようであれば支配者に事を告げなければなりません。
預言者は言いました。「お前たちの誰でも、悪行を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。だがそれしかできぬ者は、もっとも信仰の弱い者。」 (ムスリムの伝承)
12 罪を犯した者への執り成し
もしムスリムが罪を犯し、彼が罪を犯したという状態が隠されていて人々の間で実直で誠実だと知られる者であった場合、人々には彼を隠し彼が行ったことに対して罰を施行しないことが望まれます。そしてもしその罪が誰かにかかわることであった場合、その者の執り成しをすることが好ましいとされています。
そうではなくて、自分の罪を公言して憚らない者に対しては執り成しは行われずむしろ刑罰が施行されるまで放置します。
13 支配者や裁判官のところに事が持ち運ばれた者には執り成しはない
支配者や裁判官のところに事が持ち運ばれた者の執り成しは禁じられています。この場合の仲介や執り成しは罪とみなされます。これは支配者に事が持ち運ばれた後の執り成しを認めることによって無秩序が蔓延るからです。
『聞け、天と地の凡ての有はアッラーの有である。かれは、あなたがたのあるが儘を確と知っておられる。かれらがかれの許に帰される日、かれはかれらの行ったことを、かれらに告げ知らせるであろう。アッラーは凡てのことをよく知っておられる。』(アンヌール章64節)
14 ムスリム間の協力と彼らへの至高のアッラーのお助け
社会は真っ直ぐで均等であるわけではありません。そして社会が強固になるにはそれが個人間の相互協力と相互保障のうちに成り立っていなければなりません。そうして、それぞれが他者が必要としていることのために自分自身・財産などによって奔走します。そして最終的には全員が自分たちがあたかも一つの体のようであると感じるに至るのです。これはイスラームが呼びかけていることであり、クルアーンで命じられていることです。
『寧ろ正義と篤信のために助けあいなさい。』(食卓章2節)
預言者(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)は言いました。「本当に信者と信者とは互いに引き合う(支えあう)建物のようである。」
相互協力は社会建設において大きな影響をもっています。また、ムスリムが同胞を助けることから得るもっとも偉大な効果はアッラーからの助けと援助を得ることです。
16 良い模範と誠実な先人たち
* サハーバ・タービイーンたちの例(アブーバクルが男手がない女性たちを助けてあげていたことなど)
17 天国の道
イスラームはアッラーによる救済の条件です。そしてイスラームは知識なしには成り立ちません。また至高のアッラーを知り、そこへ到達する道は知識によるほかありません。知識こそもっとも近い道程でアッラーを証明し、知識探求の道を歩む者でその道をそれない者は、求められる目的地へと到達します。ですからアッラーの使徒が知識を求めることを天国への道としたことは驚くには値しません。
『知識を求めて道を歩む者には、アッラーが平坦な楽園への道を用意して下さる。』
このことを最もよく証明していることは、アッラーが彼の使徒に対する啓示を知識と知識の手段への命令で始められ、知識の恩恵と気高さ・創造主の偉大さを知ることと創造の神秘を理解することの重要性に注意させ、確実な科学的事実を示したことです。
『読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。 一凝血から、人間を創られた。」 読め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」』
(凝血章1−5節)
18 イスラームにおける知識の地位
知識は天国への道であることからイスラームにおいて知識には地位があることがわかります。そしてアッラーのもとにおける学者たちの地位は預言者たちの地位に近いものとなりました。
『アッラーはあなたがたの中信仰する者や、知識を授けられた者の位階を上げられる。』(アルムジャーディラ章11節)
預言者は言いました。「預言者たちは銀貨や金貨を遺産として残さない。彼らは知識を残すのだ。だからそれを得た者は豊富な分け前を得たことになる。」(アッティルミズィー)
19 イスラームにおける知識探求の法則
イスラームにおいて知識探求は義務です。そしてそれはファルド アイン(各自の義務)とファルド キファーヤ(一部の者が果たせば他者には義務とはならない義務)に分れます。
- ファルド アイン:全てのムスリムの義務で、正しい信条を持ち、崇拝行為やその他の社会生活における行為がアッラーの法に則った正しいものになるためにムスリムとして知らなければならないこと。
『だから知れ。アッラーの外に神はないことを。』(ムハンマド章19節)
預言者は言いました。「知識を求めることは全てのムスリムの義務である。」
- ファルド キファーヤ:誰かが行えば残りの者の義務は免除されるが、誰もその義務を果たさなかった場合全員が罪を犯したことになる。これにはイスラームの知識をさらに深く広く暗記したり研究することやムスリム社会が必要とする学問を専門知識として身に付けることが含まれ、これにより真理と公正さに則った、敵が踏み込むことができない国家の建設に役立ちます。これはクルアーンが命じていることです。
『信者は、全員が一斉に出動すべきではない。各団のうち一部が、出動し、そして残留者は宗教に就いて理解を深め、皆が帰った時かれらに警告を与える。恐らく出動した者は注意するであろう。』(アッタウバ章122節)
またこれは全てのムスリムにとって好まれる事でもあります。
『言いなさい。「主よ、わたしの知識を深めて下さい。」』(ターハー章114節)
預言者は言いました。「アッラーは良いものを望む者には宗教に関するそのものの知識を深めてくださる。」
20 知識は光であり、学者たちは導きの灯火である
『啓典の民(ユダヤ、キリスト教徒)よ、使徒(ムハンマド)が正にあなたがたの処へ来た。あなたがたが啓典(律法、福音)の中の隠してきた多くのことをあなたがたに解明し、また多くのことをそのままにした。アッラーからの御光と、明瞭な啓典が今正にあなたがたに下ったのである。 これによってアッラーは、御好みになる者を平安の道に導き、またその御許しによって、暗黒から光明に連れ出し、かれらを正しい道に導かれる。』(アルマーイダ章15−16節)
『かれらは文字を知らない預言者、使徒に追従する者たちである。かれはかれらのもっている(啓典)律法と福音の中に、記され見い出される者である。かれは正義をかれらに命じ、邪悪をかれらに禁じる。また一切の善い(清い)ものを合法〔ハラール〕となし、悪い(汚れた)ものを禁忌〔ハラーム〕とする。またかれらの重荷を除き、かれらの上の束縛を解く。それでかれ(使徒)を信じる者は、かれを尊敬し、かれを助けて、かれと共に下された御光に従う。これらの人びとこそは成功する者たちである。」』(アルアアラーフ章157節)
預言者は言いました。「地上における学者たちとは、あたかも陸と海の暗闇の中をそれによって導かれる天の星のようである。だから星が沈んでしまったら導かれる者は迷うだろう。」
つまり、ウンマの中に知識があり続けたのであれば、人々は導きと良い状態に、そして文明と向上に、正しく公正な中にあるといえます。そして知識とはその担い手である学者たちによって残されるのです。ですから学者たちがいなくなることは知識が失われることを示します。
21 『言いなさい。「主よ、わたしの知識を深めて下さい。」』
このドゥアーは預言者が述べたものですが、使徒であり、人々にアッラーから与えられた知識を教える立場であった彼がこのようなことを口にしていたのですから私たちは彼以上にこのドゥアーを言わなければならないでしょう。
22 得た知識を実行に移す者はアッラーがさらなる知識を与えてくださる
知識と行動が一致する者にはアッラーからの特別な関心を寄せられます。
『だからアッラーを畏れなさい。アッラーは、あなたがたを教えられた方である。アジラーは凡てのことを熟知されておられる。』(アルバカラ章282節)
『アッラーは導きを求める者に対し、御導きを増やされる。そして朽ちすたれない善行は、主の御許では報奨において優れ、また帰り所において優る。』(マルヤム章76節)
『しかし導かれている者たちには、(一層の)導きと敬度の念を授けられる。』(ムハンマド章17節)
23 知識を持ちながらそれを実行しない者への警告
行動と言葉が一致しない者(特に学者)のことをアッラーは警告しています。
『信仰する者よ、あなたがたはどうして(自ら)行わないことを口にするのか。 あなたがたが行わないことを口にするのは、アッラーが最も憎まれるところである。』(アッサッフ章2−3節)
『あなたがたは、人びとに善行を勧めながら、自分では(その実行を)忘れてしまったのか。あなたがたは啓典を読誦しながら、それでも尚理解しないのか。』(アルバカラ章44節)
預言者は言いました。「イスラーの夜、私は彼らの口が火でできたハサミで切られた人々を通り過ぎた。私が「ジブリールよ、これらの者たちは誰なのですか?」と聞くと彼は「話しておきながら行動しないあなたのウンマのフトバを行う者たちです。」と言った。」
24 知識を広めること
イスラームは学習と教育を奨励しています。
『信者は、全員が一斉に出動すべきではない。各団のうち一部が、出動し、そして残留者は宗教に就いて理解を深め、皆が帰った時かれらに警告を与える。恐らく出動した者は注意するであろう。』
預言者は言いました。「私たちから何かを聞き、それを聞いたとおりに伝えた者をアッラーが繁栄させますように。伝えられた者は聞いた者よりよく理解するかもしれないのだから。」
ムスリムが行う最も良い行為で死後アッラーのもとにおいて報奨を増やすことは、アッラーによって与えられ、学ぶことが出来た知識を人々に教えることです。
預言者は言いました。「人が死ぬと次の3つの行為以外は途絶えてしまう:それらは継続されるサダカ、役に立つ知識、彼のために祈願する誠実な子供である。」
預言者は言いました。「もっとも良いサダカとはムスリムが知識を学び、それからムスリム同胞にそれを教えることです。」
25 知識探求における純粋なニーヤ(意図)とそれ以外のニーヤの放置
知識を求める者と学者はその探求においてそのニーヤをアッラーの道のために学ぶというように純粋にしなければなりません。つまりアッラーの宗教を守るため、それを人々に教育するためそれによって人々の役に立つようにそれを学び、社会的地位の獲得や財産や良い噂をえるために、また人々から「知っている」と呼ばれるためやその知識によってアッラーの創造物に対して高慢であったり友人と口論したりするために学ぶのではないということです。
26 知識の半分も知らない
多くの学者たちは「知りません」と言うことを軽蔑しませんでした。その知識をもっていれば答え、知らない時には「知らない」といったものでした。
預言者でさえも、「その問題については、訊ねられた者も訊ね手以上に知っている訳ではありません」と言いました。
『(人びとよ)あなたがたの授かった知識は微少に過ぎない。』(イスラー章85節)
27 知識を求める者の礼儀
学者のもとへ奔走し、彼らを探し、学者たちの旅路や滞在において、奉仕し、知識や礼儀作法を学ぶために同行することです。
至高のアッラーはハディルとのムーサーの物語においてムーサーの言葉として次のように述べています。『あなたに師事させて下さい。あなたが授かっておられる正しい知識を、わたしに御教え下さい。』(アルカハフ章66節)
28 崇高なるアッラーを念じること
アッラーを念じることはもっとも偉大なイバーダート(アッラーへの崇拝行為)の一つです。
『あなたに啓示された啓典を読誦し、礼拝の務めを守れ。本当に礼拝は、(人を)醜行と悪事から遠ざける。なお最も大事なことは、アッラーを唱念〔ズィクル〕することである。アッラーはあなたがたの行うことを知っておられる。』(アルアンカブート章45節)
なぜならアッラーを念じることによって人はアッラーが自分を監視しているということを感じ、振る舞いを正し、アッラーとのそして創造物との状況(関係)を改善するからです。
『あなたがた信者よ、アッラーをつねに唱念〔ズィクル〕しなさい。朝な夕な、かれの栄光を讃えなさい。』(部族連合章41−42節)
朝な夕なとはつまり、「常に」ということです。
『あなたがたは礼拝を終えたならば、立ったまま、また座ったまま、または横になったまま、アッラーを唱念〔ズィクル〕し、安全になった時は、(正しく)礼拝の務めを守れ。本当に礼拝には、信者に対し定められた時刻の掟がある。』
立ったまま、また座ったまま、または横になったままとは、つまり、どのような状態にあっても、ということです。
29 至高のアッラーの書(クルアーン)が最も良いズィクル
アッラーの念唱のために最も良いことは預言者ムハンマドに下ったアッラーの言葉です。その中にはアッラーを念じることに加え、ムスリムが行うべきことと避けるべきことを含んだアッラーの掟が明確にされており、礼節や来世での成功を手にするためのカリキュラムを得ることができるのです。
『われは明瞭な印と啓典とを、授け(てかれらを遣わし)た。われがあなたにこの訓戒を下したのは、且つて人びとに対し下されたものを、あなたに解明させるためである。かれらはきっと反省するであろう。』(アンナフル章44節)
『これは(アッラーの)訓戒まごうかたないクルアーンである。』(ヤースィーン章69節)
『これは一つの教訓である。本当に主を畏れる者のためには、幸せな帰り所がある。』(サード章49節)
『本当にわれは、クルアーンを易しく説き明した。さあ、誰か悟る者があるか。』(アルカマル章17節)
30 モスク建設
アッラーの念唱・クルアーンの読誦・その他の知識の学習のためのもっとも良い場所は信者たちの土地に建てられるモスクです。本当のモスク建設とは、礼拝やイアティカーフなどの崇拝行為以外にも知識とズィクルによって成されるものなのです。
『(この燈は)アッラーの許しによって、建てられた家の中にあり、かれの御名がそこで唱えられ、朝夕、そこでかれを讃えて唱念が行われる。人びとは、交易や商品に惑わされないで、アッラーを念じ、礼拝の務めを守り、定めの喜捨に怠りなく、かれらの恐れは心も目も転倒する日である。 アッラーはかれらの行った、最善のものに報われ、且つ恩恵により報奨を付け加えられる。アッラーは御心に叶う者に、際限なく与える。』(アンヌール章36−38節)
31 クルアーン読誦が崇拝行為であり、執り成す物である
クルアーン読誦はそれだけでも命じられている崇拝行為の一つであり、ムスリムは読誦によって報奨を得ます。そして読誦は審判の日に救われるための手段の一つであり、至高のアッラーのご満悦を得る方法でもあります。クルアーンはアッラーのもとで、それを読誦していたしもべを執り成します。
『あなたに啓示された、主の啓典を読み聞かせなさい。』(アルカハフ章27節)
『あなたに啓示された啓典を読誦し、礼拝の務めを守れ。』(アルアンカブート章45節)
『わたしは、聖域となされたこの町(マッカ)の主にだけ仕えなさいと命じられた。凡ての有はかれに属する。わたしは、服従、帰依する者の一人であるよう命じられ、 またクルアーンを読誦するよう (命じられた)。それで導きを受ける者は、自分自身のために導かれるのである。そして迷う者には、「わたしは警告者の1人に過ぎない」と言ってやるがいい。』(アンナムル章91−92節)
預言者は言いました。「クルアーンの一文字を読んだ者は善行を1つしたと記録される。そして善行は1つにつき10倍に数えられる。アリフ ラーム ミームで1文字とは私は言わない。アリフで1文字、ラームで1文字、ミームで1文字なのである。」(アッティルミズィーの伝承)
またクルアーンを聴く徳は読誦のそれに劣ることはありません。それどころかクルアーン傾聴と読誦のために沈黙することは至高のアッラーの赦しと慈悲を得る原因でもあるのです。
『それでクルアーンが読誦される時は、それを謹しんで聴き、また静粛にしなさい。恐らくあなたがたは慈悲を受けるであろう。』(アルアアラーフ章204節)
32 光の上のさらなる光
もし読誦と傾聴・理解・思考・怖れが集まれば報奨は増大します。そして光の上のさらなる光となります。
『われがあなたに下した啓典は、祝福に満ち、その印を沈思黙考するためのものであり、また思慮ある者たちへの訓戒である。』(サード章29節)
33 至高のアッラーからの恩恵と満足
クルアーン読誦のために座っていた者たちへのアッラーへの恩恵は偉大なものとなっています。
- たがいにそれを学びあう者たちの上には、かならず静けさが訪れる。
『これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心の安らぎを得る。アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。』(アッラアド章28節)
また逆に、アッラーと彼の念唱を忘れた者は大損をすることになります。
『だが誰でも、わが訓戒に背を向ける者は、生活が窮屈になり、また審判の日には盲目で甦らされるであろう。』(ターハー章124節)
『災いなるかな、アッラーの啓示を頑なに拒む者こそ、明らかに心迷える者である。』(アッズマル章22節)
- 慈悲が彼等をつつむ。
預言者がズィクルをしていた者たちのそばを通り過ぎた時、「何と言っていたのか?」と聞きました。そしてそのわけを「私はあなたたちの上に慈悲が降り注ぐのをみたので自分も加わろうと思ったのだ。」と言いました。
- 天使たちにとり囲まれる。
ズィクルをしている者たちを天使はその翼で包み込みます。
- アッラーが自らの近みにとどめおく者として読みあげられる。
『だからわれを念じなさい。そうすればわれもあなたがたに就いて考慮するであろう。われに感謝し、恩を忘れてはならない。』(アルバカラ章152節)
34 イスラームの公正さ
イスラームにおいて肌の色の違いやアラブ人か非アラブ人であるかによる優劣はありません。人はアッラーを畏れる心によってのみ優劣をつけられるのです。
『人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。あなたがたはアッラーを畏れなさい。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を(尊重しなさい)。本当にアッラーはあなたがたを絶えず見守られる。』(アンニサー章1節)
『人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは、全知にして凡ゆることに通暁なされる。』(アルフジュラート章13節)
『各人にはその行ったことに応じて、種々の等級があろう。あなたの主は、かれらの行ったことを見逃しになさらない。』(アルアヌアーム章132節)
35 血筋による繋がりでなく、信仰と行為による繋がり
人々は血筋や部族によって互いに援助を行って来ました。イスラームはこれを信仰による繋がり、援助へと変えていきました。
『本当に信仰して移住した者たち、財産と生命を捧げて、アッラーの道のため奮闘努力〔ジハード〕した者たち、またかれらに避難所を提供して援助した者たち、これらの者は互いに友である。また信仰した者でも、移住しなかった者については、かれらが移住するまであなたがたは保護する義務はない。只し、かれらがもし宗教(上のこと)であなたがたに救援を求めるならば、あなたがたと盟約のある間柄の民に逆らわない限り、これを助けるのはあなたがたの義務である。アッラーはあなたがたの行うことを御存知であられる。』(アルアンファール章72節)
36 幸福と勝利と救済の道
『人間は、その努力したもの以外、何も得ることは出来ない。』(アンナフル章97節)
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