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| 1998年9月11日付 官報『ウンム・ル・クラー』(No.3714)の一面(P.129-1) |
アブドルアジーズは、教育普及のため各モスクにウラマーを配置する措置を講じ、学問・知識を広め、真の宗教であるイスラーム布教の土壌を拓き、イスラームの大規模伝道の基礎を構築するために彼らをナジドの同胞団の定住農業開拓村や諸都市に、さらにはサウード家の国家に統合されることとなる地域に派遣したのち、アラビア半島はいうに及ばず、周辺諸国やイスラーム世界内外の諸地方にも学問や教育を広めるべく、ある思い切った措置を取った。その成功した措置とは書物の印刷・出版と無料配布であった。
王は半島統一の戦いに専念してはいたが、決して自らの使命である知識の普及やサラフィー運動への支持を忘れることはなかった。彼はその使命をウラマーを通じて、あるいは本の出版、買い上げ、無料配布などを通じて実現していった。国の新聞である官報『ウンム・ル・クラー』を発行したのもアブドルアジーズであった。この国では印刷物というものはすべて国外からのものであった。国民に情報や知識を伝えるには、王が自分の広報機能を持つ必要があった。
『ウンム・ル・クラー』によると、王が印刷し、ウラマーや学生に配布するために買い上げを命じた出版物は10万冊にも達したという。これはアラビア半島に前例のない画期的な事業であった。また、サウディアラビア王国諸地域に普及した教育興隆という偉大な業績もアブドルアジーズ王に帰せられると言っても過言ではない。ウラマーも王の学問に対する燃えるような情熱をよく認識し、王が学生に学問を奨励していることもよく心得ていて、王に主だった書物のタイトルを推薦したので、王はそれらを印刷したり買い上げたりして、埋もれていた良書を蘇生させ、人々に活用させることができた。
それを物語る一つのエピソードがある。シェイク・アブドッラー・ビン・アブドルアジーズ・アルアンガリーは、イマームのアハマド・ビン・ハンバルの法解釈に関して著名なクルアーン読誦者イブン・クダーマが著した書物『アルムガンニ』を完全な形で収集することができたので、自分の弟子たちにこの本を美しい字で書写させた。その弟子たちは学問を追い求めるだけでなく、書も良くする人たちで、例えばアブドッラー・アッダハシュ、ムハンマド・アルビーズ、スライマーン・ビン・ハムダーンなどのような宗教指導者であった。彼は出来上がった写しをシェイク・ムハンマド・ビン・アブドルムハセン・アルアンガリーに持たせてアブドルアジーズ王に献上した。王はこれを至高の慶びとして受領し、リヤードのウラマーによる字句の解釈・注釈を付して印刷するよう命じた。1922年、『アルムガンニ』12巻の印刷がエジプトのアルマナール印刷所で始められ、1928年に終わった。巻末に、この出版をアブドルアジーズの偉業であるとするシェイク・ムハンマド・ラシード・リダーの賛辞がある。その中で彼はアブドルアジーズ治下のハンバリー学派の様子を評価し、この大作の発行という偉業を王の功績として高く賛美している。曰く、「この王なかりせば、私たちも私たち以外の人たちもこの印刷をやらなかったであろう。諸都市ではハンバリー学派は少数であり、また、彼らが貧困であるが故に、さらにはこの本がハンバリー派教徒だけの法解釈ではなく、イスラームの法解釈そのものであることを知る者が少数であるが故に、アハマド・ビン・ハンバル師の解釈を支持する法解釈者の一人によるハンバリー学派の法解釈12巻を敢えて出版するビジネスマンはいないからである」と。
王は書物やメッセージを印刷して普及させる方法を積極的に取り入れたので、サウディアラビアにおける印刷産業、編集・出版業は次第に発展し、印刷の専門技術者に対する国としての需要が顕在化していった。研修生や印刷の専門家が派遣され、印刷機や宗教関係書の印刷紙の輸入税が免除された。官報『ウンム・ル・クラー』の印刷はこのような状況下で始められたのであった。
転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版
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